こんにちは、MSLABOです。
向上心。goo辞典によれば「現在の状態に満足せず、よりすぐれたもの、より高いものを目ざして努力する心」とあります。一般的に向上心は美徳とされますが、本当に向上心は素晴らしいものなのでしょうか?
「向上心を持ちなさい」、私達は折に触れそのように教えられてきました。「向上心を持ち夢をもって努力すること」は美徳とされ、世の中には「向上心の無い人は存在価値がない」かのように言う人達もいます。
例えばマーフィー牧師は次のように語っています。
『向上心がない人間は、生きているとはいえません。向上心こそあらゆる試練に耐えるエネルギー源です。』
ジョセフ・マーフィー:教育家、牧師
企業で長年働いていると、特に「向上心」のある人は価値が高いという風潮が身にしみます。世の中も「勝ち組と負け組」なんて色分けをして、勝ち組になりたきゃ向上心をもって努力しなさいと言います。
しかしです。本当に「向上心」は諸手を上げて歓迎すべき美徳なのでしょうか?
「生き方は山が教えてくれました:原 伸介:かんき出版」で、自称「仙人見習い(笑)」の炭焼き職人、原さんが次のように書かれています。
「向上心とは言い換えると”今に満足しない心”のことです。(中略)上ばかり見ていると、足下にある幸せや自分の内側にある幸せが見えなくなります」。
ドキッとさせられました。
「もっと、もっと、もっと・・・」、現状に満足せず、必要とあればライバルを蹴落とし、上へ上へと登っていく・・・テッペンに近づくほど道は狭まり、熾烈な競争と争いを繰り返す・・・。
そんな生き方には「どこか息苦しさ」を感じないでしょうか?
原さんは書きます。
「人は過去にも未来にも生きることが出来ません。人が生きることができるのは「今」だけです。ですから、「今」に幸せを感じられない人はきっと未来の「今」にも幸せを感じられず、一生幸せを感じられない人でしょう」
未来は今の延長にあります。逆に言えば、いつまでたっても「未来」は来ません。永遠に「今」が続いていくのです。今が幸せでないなら、未来が突然幸せになることは無いのです。
「今生きているだけで成功と思いなさい」と、原さんは書かれています。
『人は何かひとつくらい誇れるものを持っている。何でもいい、それを見つけなさい。勉強が駄目だったら運動がある、両方駄目だったら、君には優しさがある。 夢をもて、目的もて、やれば出来る。 こんな言葉に騙されるな。何もなくていいんだ。人は生まれて生きて死ぬ。これだけでたいしたもんだ!騙されるな』
ビートたけし:映画監督、芸人
私の人生の師匠である小林 正観さんが「100%幸せな1%の人々:小林 正観:中経出版」で次のように述べられています。
「「幸せ」というのは「努力をしたら手に入るもの」ではありません。(中略)私達が目の前の現象について悩んだり苦しんでいるのは、そのことを受け入れず、否定しているところから始まります。(中略)「こうでなければイヤだ」と執着せずに、「ならなくてもいいけど、なったらいいな」と考えると、不思議な力が助けてくれる」
努力や向上心を「楽しんで」続けられるなら、おおいに結構だと思います。
しかし、その努力や向上心が「今に満足しない=今を否定する」ものなら、少々危険だと言えそうです。
向上心は時として「劣等感やコンプレックス」を隠すための言い訳として利用されます。
自分が好きになれないから、向上して「もっと愛される自分になりたい、人に認められたい」と頑張るわけです。
自分を受け入れ、今生かされていることに幸せを感じる。そこから「ならなくてもいいけど、なったらいいな」と笑顔で楽しく努力する。
「今でも十分楽しい、今でも十分幸せ。今のままでも構わないけど、もっと人の役に立てたら素敵だな、もっと楽しいことが起きたら嬉しいな」という感じですね。
ただし、向上心を持たないこと=怠けることとは違うようです。誤解のないように、偉人の言葉を紹介しておきましょう。
『どうせ死ぬんだから、せめて生きている間は楽をしよう、という考えは僕の場合逆でさ。どうせ死ぬとき楽になるんだから、生きている間はとことん辛く生きよう、というのが僕の考え』
ビートたけし:映画監督、芸人
あなたにとっての向上心とは、現状を受け入れ笑顔で続けられるものでしょうか?
長い文章を読んで頂き、ありがとうございます。あなたによきことが雪崩のごとく起きますように。
今日の学び:楽しんで続ける努力や向上心は、「今(自分)」を否定しない
今日の箴言:
- ジョセフ・マーフィー:教育家、牧師
- ビートたけし:映画監督、芸人
今日の書籍:
- 生き方は山が教えてくれました:原 伸介:かんき出版
- 100%幸せな1%の人々:小林 正観:中経出版
今日の写真:freepic.com 様
いつか書く: