こんにちは、MSLABOです。
自分を変えたい!、新しい自分になりたい!、あこがれのヒーローやお金持ちになりたい!・・・私達はよく「今の自分ではない何者か」になることを望みます。
年末年始や季節の変わり目になると、それまでの自分を反省し、新しい目標をたてて、自分を変えたいと思います。例えば「今年こそは資格を取るぞ」とか「あと5kは痩せるぞ」などですかね(笑)。
また落ち込んだ時や失敗した時などにも、「こんな弱い自分は嫌だ」と思い、「もっと意思の強い人になろう」とか「人の話をよく聴くようにしよう」などと変わることを望みます。
このように「変わること」を望む私達ですが、その実なかなか変わることができません。自己啓発書などを読んで「よーし、やるぞ!」とその気になっても、3日もたてば元通りなんて経験が、あなたにもありませんか?(汗)。
変われない理由はいろいろと思いつきそうです。根性が足りないせいだ、飽き性だ、集中力がない、友人の誘いを断れなかった、ついつい流されてしまったから、周りに賛同者が少なくて浮いてしまうような気がしたから・・・。
人によって理由は様々だとは思いますが、概ね「自分のXXXが問題だ」と自分の性格や欠点に原因を求める人と、「知り合いのYYYが悪い」とか「状況がYYYだった」と自分の外に原因を求める人に大別されるのではないかと思います。
人材育成家として活躍をされている加藤さんの本「本気で人生を変えたい人のための 自分を愛する技術:加藤 秀視:徳間書店」を読みました。その本で加藤さんは、なぜ人が変われないかを解説してくれています。
加藤さんはその理由を「いつも自分を責めているから」だと指摘されます。自分を責めている人は、いつも心の奥底で「自分にはできない」と思っているので、何をやってもうまくいかないというのです。
出来ない理由を自分の性格や欠点に求める人は、まさにこのケースに当てはまるかもしれません。過去の失敗経験が忘れられなかったり、自分の「できない所やダメな箇所」に注目してしまい、自信が持てないでいるのです。
だから「よーし、変わるぞ!」と思っても、心のなかでは「昔XXXしてもダメだった。今度もダメかもしれない」とか、「自分はXXXができない情けない男(女)だ。こんな自分じゃ、難しいかもしれない」と考えてしまいます。
一方で、自分の外に原因を求める人は自分の欠点や弱さを直視するのが怖くて、逃げています。できない理由を他人や、環境や、偶然のセイにします。そうする事で、自分が傷つかなくて済むからです。
このような人は「自分にはダメな所がある。でも、そんな自分を直視するのが怖い」わけですから、出来ない理由を自分の性格や欠点に求めて向きあおうとする人よりも、さらに問題は深刻ですね。
だから何れのタイプの人であっても、自分の失敗経験や欠点に着目し「こんな自分だからダメなんだ」と考える人は、自分を愛せない人だと言えそうです。
(画像URL:illust-AC 様:麦さん)
では、自分を愛し、自信を持ち、自分らしく生きるにはどうしたら良いのでしょうか?。加藤さんは自分を愛する事に関し2つのキーワードを挙げられています。
●1つ目のキーワードは「自分を無条件に受け入れてあげる事」です。
この「無条件に」という所がポイントです。「XXXだから認める」のではなく「XXXでなくても認める」のです。
自分を好きになれない私のような人間は、ついつい条件付きで自分を受け入れようとします。「もっとXXXだったら良かったのに、俺はYYYだからなぁ」と、XXXでないから愛せないと条件をつけてしまうのです。
「勉強ができなければダメだ(勉強ができない自分はイヤだ)」、「よい会社に就職しなければいけない(良い会社に入れない自分はダメだ)」、「美人じゃなければいけない(自分はブサイクだからダメだ)」。「XXXすべきだ、YYYでなければいけない」と「べき論」にこだわりが強い人は要注意かもしれません(汗)。
加藤さんは無条件に自分を愛する心境を「自分の子どもや赤ん坊が、何もできなくて面倒ばかりをかける存在であっても、心から愛おしいと思うように、条件などを付けずに自分を受け入れなさい」と書かれています。
(画像URL:photo-AC 様:acworksさん)
体をいたわる。健康に気を使う。好きな人や動物と一緒にすごす。いつも自分を励ます。ネガティヴな場には近づかない。たまにはご褒美をあげる。いつも清潔にする。嫌なことは我慢しない。自分を大切にし、自分が素直に喜ぶ事に注力するわけですね。
●2つ目のキーワードは「自分は唯一無二の価値がある存在だと知る事」です。
ポイントは「信じる」のではなくて「知る」事にあります。よく「自分の可能性を信じなさい」といいますが、「信じる」のではなくて「知る」わけです。
何が違うのか?・・・と私も疑問に思いましたが、「信」や「知」という漢字の成り立ちを調べてみると、その違いがよくわかります。
信は「人」+「言」で構成されています。簡単に言うと「他人が言った言葉を受け入れる、信じる」という意味です。
ですから「自分に可能性がある事を信じる」とは、他人が「君には才能がある!」なんて言ってくれる言葉を信用する事で、「本当は違うかもしれないと思いながらも、信頼できる人がいう事だから受け入れる」と解釈できます。
本当は違うかもしれない・・・という疑いが前提にあって、それでも信用するのが「信じる」事です。そもそも「絶対に正しい」と思っていたら「信じる」などとはいいません。「あなたは歩ける」と誰かが健常者に言ったとしても、「歩けると信じる」ことにはなりませんよね。
(参考URL:華やぐ日々よ …詠山史純の愚考拙文録 様、Yahoo知恵袋 sarutahiko52さん)
一方「知」という文字は「矢」+「口」から出来ています。「口」という文字は「神様への誓いの文書を入れる箱」から来たそうです。
一方「矢」ですが、古代中国では「矢」は「敵を射抜く様」から「悪霊や邪気を払う神聖な道具」とみなされていました。日本でも、お正月に神社で破魔矢(はまや)を買って邪気を払いますよね。
ですから「知」とは「神様へ誓を申し立てて、宣言する事」という意味になります。つまり「自分に可能性がある事を知る」とは、だれか他人が言った事を信じるのではなく、「たとえ他人が何と言おうとも、疑いなく自らに可能性があると認識する」事だと解釈できます。
(参考URL:47スクール 漢字物語 小山鉄郎さん)
(画像URL:illust-AC 様:しゅうぽんたんさん)
加藤さんは著書でこう書かれています。
「自分という人間は死ぬまで一生付き合っていかなければいけない人生最大のパートナーだ(中略)人は愛する自分だからこそ成長意欲がわいたり夢や希望を与えようとする(中略)自分を愛せなければ、自分のために頑張れなくなってしまう」。
そんな事を言われても、いままで散々自分の欠点や過去の失敗にとらわれてきた私などには、直ぐには自己愛を確立できそうにありません。
『芸術に賭けようとするくらいの人間なら、自己愛と自己嫌悪は猛烈に渦巻いている筈だ。
それを殺すことはない。もっともっと激しくのたうち、からみ合わせる。その相克は人間の究極のドラマだ。しかし、乗り越える方法はある。乗り越えなければならない。それが芸術なんだ。』
岡本 太郎:芸術家
日本を代表する芸術家の1人、岡本さんは上記のように述べたそうです。
自己愛と自己嫌悪が心のなかで渦巻き、対立し、その苦悩で身を焦がす。それでも自分を愛し、自分と同じように他人を愛する事に目覚めていく・・・なんとも壮絶なドラマです。
「自分ではない何者か」になるのではなく、「自分を愛し、自分の中にある可能性(本来の自分)を再発見していく」事こそが人生だとしたら、すべての自己啓発は自分を愛する事から出発するのかもしれない・・・そんな事に気が付かせて頂きました。
名古屋:伏見のオフィスより感謝を込めて。
長い文章を読んで頂き、ありがとうございます。あなたによきことが雪崩のごとく起きますように。
今日の学び:全ての自己啓発は自分を愛することから出発する
今日の箴言:岡本 太郎:芸術家
今日の書籍:本気で人生を変えたい人のための 自分を愛する技術:加藤 秀視:徳間書店
今日の写真:illust-AC 様:麦さん