こんにちは、MSLABOです。
ランプ・・・好きなんです。あの、ほのぼのとした明かりが。現代の電気による明かりのようにギザギザしていない(?)のが素敵です。私のWebのTOPページにも画像が貼り付けてあります。
Wikiペディアによれば、古来ランプといえば「粘土を焼いた皿に植物油などを注ぎ一本の灯心を載せて火を灯すもの」だったようです。時代劇なんかに出てくる行灯(あんどん)なども、日本式のランプ(?)かもしれませんね。
クリナップ(江戸散策)様のホームページによれば、行灯の燃料には菜種油などが使用されたそうです。ただ菜種油は高価だったため、庶民は安価な鰯油(魚油)などを使っていたそうで、化け猫が行灯の油をなめるという伝説は、油に魚油を使っていたところから来たという説があります。
照明器具とはいっても現在のものとは比較にならないほど暗いもので、電球の50分の1程度(豆電球くらい)の明るさだったといわれています。
この明るさについては、大江戸百花繚乱様が面白い実験結果をホームページに公開されていますので、ご覧になると良いかもしれません。
ランプや行灯では、燃料の油が空になれば、油を売ってくれる専門業者(油売りの行商人、現代でいうガソリンスタンド?(笑))から油を量り売りしてもらいました。
ただ油は高価であったため、量った最後の一滴まで油を油差し(燃料タンク)に入れる事が求められたのだとか。当然、量った油の最後の1滴、1滴(しずく)が油差しに入るまでには時間がかかったため、その間は世間話をして間をもたせたそうです。このことから「無駄話をして仕事を怠けている様子(油売りの行商人は、決して怠けていたわけでは無いのですが(笑))」を「油を売る」と言うようになったという事です。
ランプといえばアラビアンナイトの「アラジンと魔法のランプ」が有名です。魔法のランプをこすると魔神(ジン)が出現しますが、ジンとはアラビア世界でイスラム教が広まる以前から信じられてきた「超自然的な存在」で、「目に見えず、触れ得ないもの」という意味があるそうです。神が土からアダムを作るはるか以前に「煙の出ない炎」から創造され、その体は蒸気や火炎でできていると言われています。
このあたりは「知っておきたい 伝説の魔族・妖族・神族:健部 伸明:西東社」に詳しく掲載されています。GoogleのEブックスでも一部が読めます。興味のある方は読まれると良いかもしれません。
「目に見えず、触れ得ないもの」であり、未知の力を持った存在という事では、ジンは日本の「鬼」に近い存在かもしれません。鬼については以前「鬼は外?」で少し調べましたが、「形の見えない霊のような存在」という意味があるそうで、古来から人類は目に見えない不可思議な存在を感じていたようです。
ランプは闇を照らす為の道具です。
未来が見えない、不安に苛まれる人生は、多くの物語の中で「闇夜の中を走る列車や旅」に例えられます。
先の見えない中を進むしか無い人生。その闇を照らす1筋の光・・・ランプ。決して遠くまではっきりと照らし出すわけでは無いけれど、闇に怯える気持ちを打ち払ってくれます。そして少なくとも自分の足元くらいは、照らしだしてくれます。そのランプは魔法のランプ。擦ると魔神が現れて、なんでも願いを聞いてくれるとも言います。
果たして、人生において闇を照らすランプとは何なのでしょうか?。
『深海に生きる魚族のように、自らが燃えなければ何処(どこ)にも光はない。』
明石 海人:詩人
『君の中には、君に必要なすべてがある。「太陽」もある。「星」もある。「月」もある。君の求める光は、君自身の内にあるのだ。』
ヘルマン・ヘッセ:小説家
ヘルマン・ヘッセさんの言葉には心に響く物があります。
自分の人生に必要な物は、自分の中にある。自らが情熱を燃やし光り輝かなければ、闇は打ち払えない。
何の事はない、ランプとは自分自身だと言うのです。そして自分自身の中にも「見えない存在=霊」があると言われています。
霊を信じるか否かはともかくとしても、自らの人生は自ら輝かせるほかないという偉人の言葉には、重いものを感じます。
私も、自らの中に光を灯し続けられるように、頑張りたいと思います。
長い文章を読んで頂き、ありがとうございます。あなたによきことが雪崩のごとく起きますように。
今日の学び: 自らの人生は、自らが灯火となって照らせ
今日の箴言:
- 明石 海人:詩人
- ヘルマン・ヘッセ:小説家
今日の書籍:知っておきたい 伝説の魔族・妖族・神族:健部 伸明:西東社
今日の写真:freepic.com様、クリナップ(江戸散策)様、フリーカット様
いつか書く: