こんにちは、MSLABOです。
適当にやっているでしょ?。いい加減な人だね!・・・・どれも異性に言われると心に刺さる言葉です(汗)。
異性に言われた場合に限らず、「適当」や「いい加減」という言葉からは、手抜きや不真面目、無責任、行き当たりばったりといった印象を受けます。「いい加減」ってどういう事なんでしょう?
『科学がつきとめた「運のいい人」:中野 信子:サンマーク出版』によれば、運のいい人は「いい加減に生きる」のだそうです。
いい加減の反対として思いつく言葉に「まじめ」があります。中野 信子さんによれば「まじめ」とは、別の言い方をすると「社会規範に合わせる人」と言えるのだとか。
みんながやっているから、常識だから、仲間はずれになりたくないから、という理由で、「特に考えることなく従順に周りに同調する」人はマジメな人です。
まじめな事は(特に)日本人には美徳とされ、推奨される規範の1つではないでしょうか?。まじめな事は大変素晴らしいことだと思いますが、「特に考えることなく」順応する事には、弊害も多いと考えられます。
また「いい加減」の対としてよく言われる「がんばる」は、「頑張る」と書きますが、頑は頑固のガン。「張る」とは「自己主張する」ことで、「頑張る」とは、「融通が利かず、頑固に自己主張すること」も意味しているようです。
周りがやっているから、常識だからという考えには、自分で善し悪しを考えずに責任を周りに転嫁しているところがあるのではないでしょうか?
だいいち、周りがそうしているからと自分の意志でもないのに周囲の空気を読んで、周囲に合わせて生活していると、ストレスがたまります。自分を押し殺して周りに合わせる生き方は、ある意味自分自身にとって無責任な行動です。自分を殺している訳ですから、当然息苦しいものになります。
一方適当に生きている人は、自分の弱いところも強いところも受け入れて自分と上手に付き合っていますから、ストレスをためません。自分で善悪を選択して判断しているので、自分の人生に責任を取っている=自己責任であるとも言えるように思います。
つまり、いい加減=無責任とは限らないというわけです。
ひすいこたろうさんの著書『3秒でハッピーになる名言セラピー:ひすいこたろう:ディスカヴァー・トゥエンティワン』に、こんな話が紹介されていました。
ある精神科の医師が、患者を退院させて良いかどうかを判断する基準として
- 嫌なことは後回しにする事が出来る
- 出来たら止めておきたいと思える
- 一人または二人っきりで過ごせる
- ウソがつける
- いい加減を認めて、適当な所で手を打つ事が出来る
などを満たしているかどうかで判断しているそうです。
いい加減を認められない人、適当に手を打てない人、嘘がつけない人は精神科から退院できないのです。すごいですよね?(笑)。
「まじめで几帳面な人がうつ病になりやすい」と良くいわれますが、この基準を見ていると「なるほど」と納得できます。
ひすいさんは言います。「いい加減は、良い加減」であると。そういう意味では、適当も「ほどよい事、ちょうど良い、適度な、過不足のない状態」と言えますね。
「いい加減」、「適当」・・・もちろん悪い意味でも使われますが、こうして考えてみると、必ずしも否定的な意味ばかりでもなさそうです。良い意味で使われる「まじめ」や「がんばる」だって、考えようによっては残念な意味合いになります。
『適当にやらないとね、漫画家は、死ぬよ。寝なきゃ駄目。食べたいものは食べないと駄目。疲れたら休まないと駄目。』
水木 しげる:漫画家
ゲゲゲの鬼太郎などで有名な水木 しげるさんは、このように言っているようです。
良い加減とは「どうでもいいやと自暴自棄になること」ではありません。真面目も適当も「程良く、良い加減に」が良いのかもしれません。
肩の力を抜いていきましょう。
長い文章を読んで頂き、ありがとうございます。あなたによきことが雪崩のごとく起きますように。
今日の学び: 真面目も適当も「程良く、良い加減に」。肩の力を抜いていこう!
今日の箴言:水木 しげる
今日の書籍:
- 科学がつきとめた「運のいい人」:中野 信子(サンマーク出版)
- 3秒でハッピーになる名言セラピー:ひすいこたろう(ディスカヴァー・トゥエンティワン)
今日の写真:freepic.com様
いつか書く: