こんにちは、MSLABOです。
私達は「日々何事かを悩んで」います。「なぜ思い通りにいかないのだろう・・・」と。あなたはどうですか?。そういえば、この世には悩みは108個もあるなんていいますよね。
「悩み」の事を仏教では「煩悩(ぼんのう)」と呼ぶようです。
Wiki(Wiki「煩悩」記事 様)によれば、煩悩とは「身心を乱し、悩ませ、智慧を妨げる心の働き」とあります。
小難しい表現ですので、勝手に解釈して平たく言うと「悩み、苦しみ、モヤモヤしてすっきりしない心の状態」と言えそうです。その結果「智慧(物事をありのままに把握し、真理を見極める力)」がでなくなると。悩みは、どうすれば軽くなったり無くなったりするのでしょうか?。
学生時代は「悩んでいるようなら、スポーツに打ち込みなさい。健全な精神は健全な肉体に宿る」なんて教えられました。クラスの女子がどーしても気になって気になってしょうがなかった私は、「よーし、それならば」とスポーツに励んだりしましたが、一向に煩悩は無くならなかったように思います(笑)。
この「健全な精神は健全な肉体に宿る」の意味を、つい最近まで「身体が健全ならば精神も自ずと健全になる」=「体が健全であってこそ、精神の健全さも保たれる」と思っていましたが、どうやら大きな誤解であるようです。
Wiki(Wiki「ユウェナリス」記事 様)によれば、「健全な精神は健全な肉体に宿る」とは、古代ローマの詩人ユウェナリスが風刺詩集の中で述べた言葉だそうです。
この詩に出てくる先の言葉の解釈を巡っては、原文(ラテン語)から英語への訳が良くなかった事や、恣意的に(しいてき=わざと)権力者やファシズムに利用された経緯などがあり、今でも混乱をしているようですが、「おお!」と思わせる解説を「世界の古典つまみ食い 様」のページで見つけました。
ユウェナリスは、人が神様に祈りやすい内容、例えば「お金持ちになりたい」、「美人になりたい」、「長生きしたい」などを取り上げて
「そのような事が実現されたとしても、それだけではけっして人は幸福にはならない。むしろ心配事が増えるだけだ。祈るなら「心身ともに健康であること」 程度にしておきなさい」
と戒めたのが、先の文章の意味なのだそうです。
「ぬお!、そうだったのか」と、目からウロコでした。
でもこれでは、肝心の悩みをなくす手立てが断たれてしまいます・・・困りました(笑)。で、探していたらズバリなタイトルの本を見つけました。
「この世の悩みがゼロになる:小林 正観:だいわ文庫」です。
正観さんは言います。
「私のところに来る人生相談の98%は「自分の考えや価値観に合わない人を、どうしたらいいでしょうか」というものです」と。
そして「(それは)相談事ではありません。「自分の思い通りにしたい」だけですから。(中略)自分以外のものを自分の思い通りにするという考え方を全部やめる。自分がどう生きるかだけをまず考える」と指摘されます。
ご指摘の通りだと感じました。
「ああ、あの子が気になる。どうしたら振り向いてもらえるかなぁ」とは、別の言い方をすれば「あの子を自分の思い通りに振り向かせたい。自分の思い通りにしたい。あんな事やこんな事をしてみたい」という気持ちで、相手を支配したいという欲求です。
「なんで、うちの子は勉強しないんだ。心配で心配でたまらない」は、「自分の子が自分の思った通りに勉強してくれれば、自分が安心できるのに。お陰で自分の将来が不安になるではないか」で、心配しているのは自分の将来であり、子供のことは心配していません。
「そんなことはない」とお叱りを受けるかもしれませんが、それは「そもそも誰の課題なのか」をよくよく考えてみる必要があるように思います。
勉強しないで困る(良い学校にいけないから、将来が限定される)のは子供です。私ではありません。
私が勉強して高度な資格などを取れば、子供とは無関係に安心して暮らせるかもしれませんよね。私が「もっと稼げる」ようになれば、逆に子供を助けてあげることさえ出来るかもしれません。
勉強しないという選択をしたのは子供であり、それは子供の自由です。その結果を受け取るのも子供自身です。私ではありません。
振り向かない事で、ここにいるいい男(や女)を見逃して困るのは相手であり、私ではありません(私がいい男や女なら、もっと自分にふさわしい相手はきっと見つかるでしょう)。
誰を選ぶかという選択は相手の自由であり、良い異性を選択しないで困るのは相手です。私ではありません
どうです?・・・みんな相手の課題と自分の課題を混乱している結果だとは思えませんか?。
「アルフレッド・アドラー 人生に革命が起きる100の言葉:小倉 広:ダイヤモンド社」で、小倉さんは心理学者のアドラーの次のような言葉を紹介しています。
「あなたが悩んでいる問題は本当に「あなたの問題」だろうか。その問題を放置した場合に困るのは誰か、冷静に考えてみることだ」と。
だから「相手が自分の思い通りに動かないのは、当たり前。自分の思い通りにに動かせるのは、自分だけ」という当たり前の事実に気が付き
- 相手を自分の意のままにコントロールしようとは思わない。
- 相手は相手、自分は自分。たとえ子供であっても、自分ではない。
- 違う人間だから、思い通りにならないのは当たり前。相手にも自分にも自由という権利がある。
- 相手を批判せずに、そういうもの(人)だと「ありのまま受け入れる」、「認めてあげる」
と「悩み」が小さくなるというわけです。
『幸福への道はただ一つしかない。それは、意志の力でどうにもならない物事は悩んだりしないことである。』
エピクテトス:古代ローマの哲学者
そして
- 執着を手放す※
- 自分自身が、いかに恵まれていて幸せであるか気がつく※
※私の勉強不足でした。訂正させて頂きました(2014/10/4)
といった事に焦点を当てればよいと正観さんは言うのです。
そうすれば、悩みは決して悪いものではなくなります。
智慧を妨げる悩みではなく、智慧を身につけるための悩みになり、むしろ大いに悩んで工夫していけば良いものだと気が付きます。
こうなれば、もはやその悩みは煩悩とはいえません。
煩悩さえも「自分が成長するために必要なもの」と受け入れて、そんな煩悩を持った自分を愛してあげる。
そうか・・・自分を受け入れて愛する、相手も受け入れて愛する。そうすれば悩む必要なんてないんだと気が付かせていただきました。
長い文章を読んで頂き、ありがとうございます。あなたによきことが雪崩のごとく起きますように。
今日の学び:煩悩も「自分が成長するために必要なもの」と受け入れる
今日の箴言:エピクテトス:古代ローマの哲学者
今日の書籍:
- この世の悩みがゼロになる:小林 正観:だいわ文庫
- アルフレッド・アドラー 人生に革命が起きる100の言葉:小倉 広:ダイヤモンド社
今日の写真:lllust AC 様:さつきさん
いつか書く: