こんにちは、MSLABOです。
夏の風物詩といえば・・・スイカに海水浴に浴衣女子(w)に花火ですよね。特に花火は夏の風景としては最高です。夏の花火というと「The日本」という感じがしますが、花火はいつ頃から始まったのでしょうか?
Wikiによれば、花火の期限は昔の中国にあるそうです。諸説あるものの、6世紀の中国(随(ずい)」の時代)頃から用いられるようになったそうで、6世紀といえば日本は奈良時代です。
当時の花火は、音や光で敵を威嚇したり、敵の陣地に打ち込んで火災を発生させる武器として用いられていたそうです。
花火は13世紀以降ヨーロッパに伝えられ、イタリアを中心に盛んに製造されました。ただしヨーロッパの花火は主に王侯貴族のもので、王の権力を誇示するため王が催すイベントなどであげられたそうです。
日本には、室町時代(1336年-1573年)には既に伝えられていたといわれています。しかし観賞用の花火が本格的に発達したのは江戸時代(1603年-1868年)でした。
日本で最も古い花火業者は宗家花火鍵屋(かぎや)さんで、鍵屋から暖簾分け(のれんわけ)をして玉屋が創業しました。やがて花火と言えば「玉屋と鍵屋」と言われるようになりました。
いまでも花火大会の時に「たまやー」とか「かぎやー」と叫ぶ昭和なオジサマがいるのは(笑)、ここに由来するようです。
(参考:㈱宗家花火鍵屋 様)
現在の日本の花火は本当に色鮮で、丸く大きく開かせる技術は世界一と言われています。打ち上げに成功した世界最大の花火は、玉の大きさが直径約4尺(約120cm)、重量約420kgという巨大なものでした。
これはギネス・ブックにも登録されていて、現在でも記録が破られていません。
資源に乏しい日本。しかしアニメや花火など、独特の文化や技術で世界を圧倒しているのも事実です。
『人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、讎(あだ)は敵なり』
武田 信玄:戦国武将 甲陽軍鑑 より
とは、戦国時代の武将 武田信玄公の言葉だと言われています(諸説あり、異論もあります)。
上記の言葉の意味は、単に「人の大切さ」を説いただけではないそうです。
信玄公は上記の言葉の意味を『甘柿も渋柿も、ともに役立てよ(人はその性質にそって使うことが大事である、の意)』と表現し、『(自分は)決して人をつかうのではない。わざ(意欲)を使うのである。(その人の持ち味である)能力を殺すことがないように人をつかってこそ、心地がよい』と言っているそうです。
(参考;Yahoo知恵袋 tarochansirochanさん)
経営が傾いたらリストラと称して、古くから勤めていた社員や技術者を簡単に解雇してしまう現代の日本の経営者に、ぜひ読んでもらいたい名言です。
玉屋は江戸幕府の意向で取り潰しになってしまいました。しかし鍵屋さんは、今でも花火業界で活躍されています。脈々と伝統と人の力を受け継いで活かし、日本の花火を世界一にまで押し上げたわけです。拍手です。
夏の夜空に輝く花火は、日本の「人」が生かされた職人技なんですね。
これから花火を見上げたら、「甘柿も渋柿も、ともに役立てよ」という信玄の言葉を思い出したいと思いました。
長い文章を読んで頂き、ありがとうございます。あなたによきことが雪崩のごとく起きますように。
今日の学び:甘柿も渋柿も、ともに役立てよ
今日の箴言:武田 信玄:戦国武将
今日の書籍:
今日の写真:フリー写真素材ぱくたそ 様
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