こんにちは、MSLABOです。
現代日本ではいろいろと窮屈に感じることが多いようです。大きな会社にいると「がまん」を強いられます。給料の半分は「我慢代」じゃないのかとさえ思うことがあります。
今日のポイント
閉塞感にあふれた社会
日本は閉塞感が強い社会だと言われています。
- 少子高齢化
- 人口減少
- 非正規社員の増加
- 平均年収の低下
世の中には閉塞感を感じさせる話題がいろいろとありますよね(汗)。
外資系の企業に勤めていたり、海外留学、海外在住などで欧米の文化に触れる機会がある方は、特に日本の「事なかれ主義」や「空気を読む」雰囲気に違和感を感じるようです。
(参考URL:教えてgoo 様:lalalulalaさんなど多数の意見 より)
「出る杭は打たれる」という言葉がありますが、表立って自分の意見を言うのは「大人げない」などと言われる事があります。自己主張はワガママだというわけです。
(画像URL:photo-AC 様:チョコラテさん)
会社でも、「上司や同僚が残業していると、自分だけ早く帰るのは気まずい」といった感じがします。空気を読む社会なんですね。これなどは、私もサラリーマン時代に実感したことがあります・・・(汗)。
こんな日本の閉塞感はどこから来るのでしょうか?。
それは「少子高齢化」による影響だとする記事があります。一般的に若者は変化に柔軟でバイタリティがありますが、年齢を重ねると保守的になり頑固になります。
だから少子高齢化が進み組織(会社)の平均年齢が高くなった日本の企業では、革新的な意見が生まれることが少なくなり、それが変化を嫌う「事なかれ主義」的な社会を生んでいるというわけです。
(参考URL:HUFFPOST SOCIETY 様:若者にハングリー精神を求めるなんて愚の骨頂/日本の閉塞感を打破する秘策とは? 記事より)
なるほど、一理ありそうですね。
また閉塞感を、日本人が持つ文化的な特徴(謝罪や恥の文化)に求める記事もあります。
法に触れていなくても、少しでも誰かの気分を害したら謝らないといけないような謝罪要求社会が、閉塞感を生んでいるというのです。
(参考URL:イケダハヤト 様※:まだ東京で消耗してるの? 記事より)
※2020/03 Link先が削除されました
有名ブロガーとしてネットで発信をしているハヤトさんらしい意見です。
閉塞感は「一回の就職で死ぬまで楽チンな人生を送りたいと願う、日本人のワンパターン化した人生設計にある」と指摘する記事もあります。
安心、安定、安全を極度にもとめる私達の意識が、なにがなんでも企業にしがみつこうとか、長いものに巻かれろ的な社会を生んでいるというのです。
(参考URL:DIAMOND IT&ビジネス 様:一生安泰に暮らしたい日本人の心が招いた閉塞感 記事より)
これなどは、経済を専門とするDIAMOND社さんらしい切り口の意見だと感じました。
どの意見も「なるほど!」と思わせるものがあります。
自己否定をする努力
そんな中で早稲田大学名誉教授で心理学者の加藤 諦三(かとう たいぞう)さんの意見が、msnニュースに掲載されていました。
(参考URL:msnニュース 様:低学歴でも幸せな米国人と、高学歴でも不幸せな日本人の格差 記事より)※
※2017/07:参照元Linkがなくなった為、同等の内容を掲載している diamond online様 へのリンクを貼ります。
加藤さんは記事の中で、学歴や所得、給与形態の差と、人生に対する幸福感や人間関係の良し悪しに関するアメリカ人の意識調査を紹介してくれています。
アメリカ人は学歴や所得の差が、人生で幸福を感じるかどうかや、人間関係の良し悪しにはあまり関係しないと考えているようです。加藤さんはその原因を、彼らが「個」を大切にして生きているからだと述べています。
『成功とは自分の個性を最大限に発揮することです。』
オグ・マンディーノ:自己啓発家、小説家
多くのアメリカ人は「何が自分の人生にとって大切か(ベターか)」を判断基準にし、(将来)最高である事よりも(今)最善である事を選ぶ生き方をしている」というのです。
(画像URL:photo-AC 様:acworksさん)
加藤さんはこの事を印象づけるこんな話を紹介してくれています。
MIT(マサチューセッツ工科大学)といえばアメリカの超一流大学です。その入学式で、MITの学生に「高校生のときは、どのように生活していたのですか?」と質問しました。
これが日本の高校生であれば「MIT(一流大学)に入るために、遊びたいのも我慢して受験勉強をしていました」と答えそうなものです。
ところが多くの学生は、「非常に有意義な学生生活を送っていました」と答えたそうです。
不思議に思った加藤さんは、「受験勉強で忙しかったのではないのですか?」と尋ねたそうです。
そんな質問に、MITに入学した学生たちはなんと答えたでしょうか?。
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彼らはこう答えたそうです。
「Life is more important than university.(人生は大学よりも大切だ)」
加藤さんはそんな彼らとのやり取りを元に、心理学者のデヴィッド・シーベリーの調査を引き合いに出し、「自己否定をする努力」はすべきではないと述べています。
自己否定をする努力とは、向上心の名を借りて「こんな自分ではダメだ」とか、「周りの期待に答えなければいけない」と、自分を否定し自分の欠点を補おうとする努力です。
「自分ではない何者かになろうとする努力」と言えるかもしれません。
MITの学生は「我慢して、その結果MITに入学した」のではなく「楽しんで学生生活を送りながら、MITに入学した」のです。
「そんなの、頭が良い連中の言う綺麗事だろ?」とも思います。しかし加藤さんの話によれば、そんなアメリカ人は「人生が幸せであるかどうか」と「高学歴かどうか」は関係ないと思っているのです。
だから「無理をして」良い大学に行くような(最高を求めるような)生き方をせず、自分ができる範囲で努力をして行ける大学に進む(最善を求める)生き方をしていると指摘しているのです。
頭が良い人はMITに行けば良いし、そうでない人はそれなりの大学に行けば良い。いや、そもそも大学に行きたくなければ行かなくても良い。そんなことは人生の幸せを左右する事ではないと考えているのです。
デヴィッド・シーベリーは、全米中の悩める人たちから話を聞き、そんな悩める人達に「ある共通した考え」があり、次のひとことが言えなかったことが悩みの原因だと結論づけました。
それは、「私は、そういう人間ではありません」という言葉です。
(画像URL:photo-AC 様:RRiceさん)
空気を読む、周りに合わせる、自分の意見を言わない・・・。場合によっては美徳ですが、行き過ぎると「自分を大切にしない行為」となります。
『気持ちよく断ることは半ば贈り物をすることである。』
フリードリッヒ・ブーテルベーク:哲学者
こう考えると「私は、そういう人間ではありません」と自分の個性や考えを主張せず、「みんながそうするから、自分もしたい」と考える日本人に、閉塞感が漂うのは当たり前なのかもしれません。
閉塞感の原因は?
ウサギとカメという童話があります。みなさんも読んだことがありますよね?。
あるとき、ウサギはカメに出会います。
カメの歩く速度が遅いので、ウサギはカメを馬鹿にして「どうして、そんなに遅いのですか?」と問います。
カメが怒ると、ウサギは「それなら、向こうの丘の上まで競争しましょう」と持ちかけます。
カメとウサギは走り出しますが、あっという間にウサギは先を行って見えなくなります。
ウサギは十分に差が開いた事で安心し、花畑で居眠りをしてしまいます。
その間にもカメはモクモクと歩き続け、ウサギが目覚めた頃には丘の上に到着していました。
(画像URL:吉野家(よしのけ)ホームページ 様)
だいたい、こんなお話でした。
童話の中でウサギはカメに丘の上まで競争する事を持ちかけますが、加藤さんは「なぜカメは競争を断らなかったのか」と指摘をします。
カメの足が遅いのはカメの(大切な=カメらしい)特徴です。「速さ」という1つの狭い基準から見れば欠点ですが、ゆっくりだからこそ得ている長所もある筈です。
だからカメが自分の個を大切に思うなら、「私はカメですから、遅いのが当たり前です。それがなにか問題でも?」と、競争を断ればよかったのです。
・・・でもカメは競争をしてしまいます。きっと頑張って、無理をして歩いたに違いありません。
童話では偶然カメは勝ちました。けれども現実には、カメが勝てる可能性はほとんどありません。
また加藤さんは、カメに競争をもちかけるウサギについても問題点を指摘します。ウサギが足の速さを知りたいのなら、(ほぼ確実に勝つ)カメと比べるのではなく、ウサギの仲間同士で比べれば良かったのです。
だからカメに競争をもちかけたウサギは、ウサギ社会の中で孤立していたのかもしれません。カメに(必ず)勝つ事で、ウサギ社会の中で味わっているコンプレックスを誤魔化したかったのかもしれないのです。
どちらにせよ、自分という個性(性格、気質、能力、適性)を大切にできないウサギとカメが競争をしたという事になります。だから「どのような結果になるにせよ、双方とも幸せにはならなかった」と指摘をされています。
個性的である事、自分の意見を主張する事には「勇気」が必要です。嫌われるかもしれない、仲間はずれになるかもしれないという恐怖に勝たなければいけないからです。
『私が心から愛している美徳が一つだけある。それは「わがまま」だ』
ヘルマン・ヘッセ:小説家
ヘッセさん・・・尊敬します(笑)。
私たちは残念ながら、いつも「個性的」で「自己主張」できるわけではありません。だからといって「空気を読み」過ぎると、自分が何者であるかがわからなくなってしまいます。
私の好きなバンド「ONE OK ROCK」に「自分ROCK:作詞 Taka:作曲 Taka:アルバム Nicheシンドローム」という歌があります。(参照URL:Uta-Net 様)
その歌詞にこうあります。
今日も君は信じること、忘れずに目覚められていますか?。
時が経つと自分さえも、信じれなくなる時代のようです。
自分では気付かないのが、この症状の特徴で
唯一ある予防法・・・は
「自分に嘘だきゃ付かないこと」
するどい! と思わずにはいられません。
私たちは孤独を恐れたり、安心を求めるあまり
- 自分の気持ちに嘘をついてはいないでしょうか?
- 自分の人生を歩いているでしょうか?
- 自分の価値観を信じているでしょうか?
閉塞感は、私達の中にある「自分ではないもの。過剰な安心を求める弱さ」に支配されている結果かもしれません。
あなたは今日も「自分を信じて」生きていますか?。
え、なんとなくやる気がでない?・・・そんな時は ONE OK ROCK の歌を聞いて元気を取り戻しましょう(笑)。
私たちは、人を気遣うのと同じくらい自分を気遣うべきです。だって、自分のことを一番知っているのは自分なのですから。
名古屋:伏見のオフィスより感謝を込めて。
長い文章を読んで頂き、ありがとうございます。あなたによきことが雪崩のごとく起きますように。
今日の学び:自分の気持ちに嘘を付かない
今日の箴言:
オグ・マンディーノ:自己啓発家、小説家
フリードリッヒ・ブーテルベーク:哲学者
ヘルマン・ヘッセ:小説家
今日の書籍:なし
今日の写真:photo-AC 様:acworksさん