こんにちは、MSLABOです。
貧乏はしたくない。お金持ちになりたいとは、多くの人が考えますよね。貧乏って本当にダメなんでしょうか?。
お金持ちになる方法や、お金持ちの人が書いた指南書は沢山ありますが、「我こそは貧乏なり」という人が書いた書籍は、あまり見たことがありません(笑)。
お笑い芸人の島田 洋七さんが書いた「佐賀のがばいばあちゃん:島田 洋七:徳間文庫」を読んでいますが、その冒頭にこんな事が書かれていました。
「ある夕御飯の席のことだった。「ばあちゃん、この2、3日ご飯ばっかりでおかずがないね」。俺がそう言うと、ばあちゃんはアハハハハと笑いながら、「明日は、ご飯もないよ」と答えた。俺とばあちゃんは、顔を見合わせると、また大笑いした」
なんという貧乏・・・でも、なんだか懐かしい感じがする、なんとも言えない温かな幸福感。
「がばい」というのは、佐賀弁で「非常に」という意味で、本来は「ばあちゃん」のような名詞の前に付けるような言葉ではないそうですが、島田さんは「とてもすごい ばあちゃん」という意味で「がばいばあちゃん」とタイトルをつけたそうです。
私達は、ついついお金=幸せ、貧乏=不幸と考えてしまいますが、がばいばあちゃんと島田さんの物語を読むと、その「にじみ出てくるような温かな雰囲気」に、思わず「うらやましい」とさえ思ってしまいます。
お金持ちは幸せなのか?、幸せとは何なのか?。
この事について、ある本にこんな問が載っていました。
「ある朝、あなたは世界一の億万長者になって目を覚ます。だが、世界にはあなた以外に誰一人として存在しなくなっていた。あなたは幸せを感じるだろうか?」
あなたは、どう思いますか?
幸せとは1人で叶えられるものではなく、他人がいて始めて感じるものだという事を、わかりやすく理解させてくれます。
お金や物は、確かに幸せを感じるためには大切なものですが、本当に大切なものは「あなたの身近にいる人との関わり」であるわけですね。
明日食べるものがないような貧乏の中でも、ばあちゃんとの温かな関係があれば、けっして心は貧しくならないし、寂しくもない。
いくら豊かで食べ物が溢れていても、家族や兄弟の心がバラバラで、一家団欒の食事がない家庭は寂しい。
『私は貧乏だったことがない。ただ金欠だっただけだ。貧乏とは心の有り様を言い、金欠とは一時的な状況を言う』
マイク・トッド:映画プロデューサー
なるほど!と思わずにはいられませんでした。
貧(まず)しいという字は貪(どん)欲の「どん」とも読みますが、「私だけが、私だけが、私だけが」と自己の利益を最大化させ貪欲に金と権力を集める人は、周りにもお金目的の人しか集まらなくなり、幸せから遠のいていくのかもしれません。
偉人も次のように言っているようです。
『貧しい者とは、ほとんど何も持っていない人間のことではなく、もっと多くを渇望する人間のことを言う』
ルキウス・アンナエウス・セネカ:ローマ帝国の政治家
がばいばあちゃんも次のように言っています。
「貧乏には二通りある。暗い貧乏と明るい貧乏。うちは明るい貧乏だからよか。それも、最近貧乏になったのと違うから、心配せんでよか。自信を持ちなさい、うちは先祖代々貧乏だから」
いや、ばあちゃん、先祖代々の貧乏って胸を張られても・・・・・・w。
でも、昨日今日貧乏になった「貧乏初心者」じゃなくて、長年貧乏で「貧乏のプロ」だから、きっと生き抜くたくましさは凄いものを持っているんでしょうね(笑)。
心の貧しさについてWEBのツイートに以下のようにありました。
(参考:NEVER まとめサイト様)
「なんで陰口を言っている人たちは楽しそうなの?楽しそうなのになんで悲しい人達だと先生は言うの?」
「自分の豊かさをああやって相対的にしか自覚できない人たちはね、とても心の貧しい人たちなのよ。それをああやってみんなで増幅しないと、自分が揺らいでしまうの」
あいたたた・・・・。「貧乏であっても心が貧しくないように」ですね。
明るい貧乏バンザイ。一生懸命生きて自分を明るく保ち、周りの人も幸せな気持ちにできた上で貧乏なら、エゴな暗い金持ちよりも100倍いいじゃない!。そんな事を教えられました。
長い文章を読んで頂き、ありがとうございます。あなたによきことが雪崩のごとく起きますように。
今日の学び:貧乏であっても心が貧しくないように
今日の箴言:
- マイク・トッド:映画プロデューサー
- ルキウス・アンナエウス・セネカ:ローマ帝国の政治家
今日の書籍:佐賀のがばいばあちゃん:島田 洋七:徳間文庫
今日の写真:Hot’n Cool 様 :マッチ売りの少女 The Little Match Girl より
いつか書く: