努力は報われる?

こんにちは、MSLABOです。

努力は、必ず報われる!」・・・という言葉を、自己啓発に興味がある方なら1度や2度は聞いたことがあるのではないでしょうか?。「努力と根性」というと、何やら昭和の香りがしますが、今でも多くの日本人に好まれる考えでは無いかと思います。
ところで、努力は本当に素晴らしく、そして報われるものなのでしょうか?

「努力の人」として思いつく人物の1人にイチロー選手がいます。彼はこんな言葉を残しているそうです。


『努力せずに何かできるようになる人のことを「天才」というのなら僕はそうじゃない。努力した結果、何かができるようになる人のことを「天才」というのなら、僕はそうだと思う。人が僕のことを、努力もせずに打てるんだと思うなら、それは間違いです。』

鈴木 一郎:野球選手

彼は小学校3年生の時から1年で360日(!!)以上を野球の練習に費やし、その努力を中学、高校と続けたそうです。まさに恐るべき努力家です。

一方で脳科学者で医学博士の中野 信子さんは、その著書「努力不要論:中野 信子:フォレスト出版」で次のように書かれています。
努力信仰というのは、結果が出るか出ないかわからない、あるいは、出ないとわかっているのに、努力すればなんとかなるのではないかと、理不尽な期待をする非合理的な精神のことです

努力信仰は何も昭和の昔に限った事ではなく、現代のブラック企業にも同じような心理が働いていると中野さんは指摘されます。

  • 努力をすれば必ず結果が出る
  • 結果が出ないのは努力が不足しているからだ
  • 結果が出るまで、もっと努力をしなければいけない

人を道具のように使い倒すのです。

使われている人も

  • これだけ苦労しているのだから、いつかは報われるに違いない(報われて欲しい)
  • 途中でやめたりすれば、これまでの努力が無駄になる
  • 怠け者は人生の落伍者だ

と思い込み、倒れるまで努力をし続けてしまいます。

中野さんは書籍の中で、努力には2種類あると指摘されます。1つは「狭義の努力」であり、今1つは「広儀の努力」です。
狭義の努力は「闇雲に行う努力」です。歯を食いしばりながらやる、がむしゃらにやる、といった感じでしょうか?

一方で「広儀の努力=真の努力」を次のように定義されています。
1)目標を設定する
2)目標に到達するための方法(戦略)を立てる
3)コツコツと実行(真の努力を)する
このわかりやすい例として、数学の点数を上げたいという目標があるのに、外国語の単語を覚える努力をしても成果がでない事を挙げ、目的に到達する為に合致した努力以外は報われないと断じています。

東進ハイスクールの講師で「今でしょ!」で有名になった林 修さんは、著書「今やる人になる:林 修:宝島社」で似たようなことを書かれています。
「努力は裏切らない」という言葉があります。この言葉そのものは間違っていませんが、実は、少し補足が必要な言葉です。(中略)「正しい方向でなされた努力は裏切らない」(次の図は、林さんの著書の絵をデフォルメしました)

努力ベクトル
図でもわかるように、黄色の矢線(努力量)は「真の努力」も「無駄な努力」も同じなのですが、成果量が決定的に異なります。
無駄な努力は実らないのです。

しかし私もそうなのですが、なかなか自分が努力すべき領域を見極められません。
もうすこしやれば、なんとかなるかもしれないと、才能もない分野に無駄な努力を重ねてしまいます。
もう少し努力したらゲームプログラマーになれるかもしれない、IT技術者として大成するかもしれない・・・はい、これ私の無駄な努力です(笑)。

それでは、自分が努力を重ねれば結果がでそうな領域(努力すべき領域)は、どのように見極めればいいのでしょうか?
この辺りについては次回「自分の素質を見極めろ!(その1)」で書きたいと思います。

長い文章を読んで頂き、ありがとうございます。あなたによきことが雪崩のごとく起きますように。


今日の学び:闇雲な努力は無駄である!
今日の箴言:鈴木 一郎:野球選手
今日の書籍:

  • 努力不要論:中野 信子:フォレスト出版
  • 今やる人になる:林 修:宝島社

今日の写真:lllust AC様: ともさん
いつか書く:

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