こんにちは、MSLABOです。
突然ですが、あなたは死ぬのが怖いですか?。私は「とっても怖い」です。死を間近に見聞きしている人(終末医療の関係者など)や、(失礼ながら若い人に比べて比較的・経験論的に)棺桶が近づいているご長寿の皆様は、どのような考えをお持ちなのでしょうか?
ふとしたきっかけで「死」について考える機会がありました。頭では「いつか死ぬ」と十分理解していても、私達は「たぶん明日も死なない」と信じて生きています。「死」はいつも忌み嫌われる存在ですし、考えたくなどありません。
しかし「満足して死ぬ」ことは「満足して生きる」事に他ならないのではないかと思います。ですから「元気があって死にそうにない時」にこそ「死ぬとき」を考えておくべきだと思うのです。
『人間が幸せの夢を追うときに犯す大きな過ちは、人間の生来から備わっている、あの「死」という弱点を忘れてしまうことである。』
フランソワ・ルネ・ド・シャトーブリアン:文学者
「だから死ぬのは怖くない:週刊朝日MOOK:朝日新聞出版」に40代から60代の人を中心に、その死生観について2867名からアンケートを取った結果が紹介されています。
その中で意外だったのは、「死ぬのが怖い」と回答した人が32%しかいなかった事です。その一方で「今死ぬとしたら悔いなく死ねるか」という問には「悔いがない」と答えた人は24%しかいませんでした。また「死後の世界」を信じている人は34%あまりである事も紹介されています。
「だから死ぬのは怖くない」には「死ぬときに後悔すること25:大津 秀一:到知出版社」の著者で終末医療に関わっている大津 秀一医師が寄稿しています。それによれば、人が死ぬときに後悔する6つの事は以下の様なものだそうです。
(1)会いたい人に合わなかった
「もう少し回復してから会おう」とか「喧嘩別れしたまま会えず終い」で、会いたい人に合わないまま死ぬ人が多いそうです。そもそも病院に長く入院していると、痩せこけて、身だしなみも崩れます。会いたくても見窄らしい自分を晒す事になります。
元気なうちに「会いたい人には会っておく」、可能であれば「大切な人の側にいてあげる」のが良さそうです。私にも田舎に残した両親がいます。この話を読んで身につまされる物を感じました。
(2)行きたい場所に行かなかった
病院での生活が長くなり病状が悪化すると、気軽に外に出られなくなります。若い頃はお金がなくて好きなところに旅行に行くのが経済的に困難な場合もありますが、こんな後悔の言葉を聞くと、行きたい所があれば出かけておく、見たいものがあれば見ておくのが吉だと思えます。
(3)美味しいものを食べておかなかった
病気が進行すると健康なときに比べ食欲が落ち、味覚が変化して、今までのように食べることができなくなるのだそうです。「死ぬまで食べ物を美味しく食べられる人は、まずいません」と大津さんも書かれています。お医者様に言われるとリアリティが湧きます(汗)。
だから「美味しい」と感じるうちに食べておく。暴飲暴食をせよというのではなく、「美味しいと感じる時間は案外短い」のだから「美味しいと感じている時が自分の旬」だと考えて、味わっておくと良いようです。
上記3つは、「なんとも生活臭い」後悔ですよね。
でも人は死に直面すると、案外このような日々の生活を楽しまなかったことを後悔するのかもしれません。「死ぬときに後悔することの大半は、やり残した壮大な夢ではなく、日常的なことなのでしょう」と大津さんも書きます。
その一方で、大津さんは旅行や衣食住といった物理的な後悔だけでなく、メンタルな面、精神的な面での後悔もあると書かれています。
(4)他人に優しくしなかった
大津さんは肺がんで入院したある実業家の社長を例にあげています。
その方は「会社を大きくし、事業を成功させるために人を蹴落としてきた」が、死を前にして看護学生たちに「君たちが将来の医療を背負っていくんだ」と励まし、七夕が近かったので、お礼に短冊を沢山つけた笹をもらったのだそうです。
その際、「僕はこういうことに気が付かずに生きてきた。たくさんの人に支えられていたし、人に優しくしていれば、もっと満足のいく人生だったのに」と言われたのだそうです。自分だけが成功すれば良いと考え、周りの人と共に幸せになる事に気を配れないと、人生の最期は満足が小さなものとなりそうです。
(5)愛する人に「ありがとう」と伝えなかった
「長年思ってきたことを胸にとどめたまま」だった。「いまさら感謝なんて言えない」、そんな人が少なからずいるそうです。
思いを素直に伝えることは、殊の外難しい場合があります。死ぬ時になって「ありがとう」を言うのではなく、日頃から「ありがとう」と、ちゃんと伝えていきたいですね。あなたは今日、あなたの大切な人に「ありがとう」が言えましたか?・・・え、恥ずかしい?、わかっているけど言えない?・・・じゃぁきっと後悔するかもしれませんよ?。
(6)家族との関係をより良くしなかった
親を大切にしなかった、父、母、兄弟姉妹、夫、妻を許せなかった、子供に対して何も残せなかった、と後悔する人が多いのだとか。
「家族や友人に見送られて死にたい」と考えている人は多いかもしれませんが、日頃から「家族や友人に良くしている」人は、どの程度いるでしょうか?。家族なんだから、親友だからといって「わがまま」に振る舞っていませんか?。
「人は死ぬ時に、誰が泣いてくれるかによって、その人の価値がわかる」と言います。
『あなたが生まれたとき、周りの人は笑って、あなたは泣いていたでしょう。だからあなたが死ぬときは、あなたが笑って、周りの人が泣くような人生をおくりなさい。』
アメリカ・ネィティブインディアンの教え
こうして見てみると、「今生きている事を楽しみ」「自分の周囲の人を大切にする事」ができなければ、人は死を後悔すると言えそうです。
『人生の悲劇は、生きていながら内部では死んでいること。いつわりのない感情の死、心をふるいたたせる反応の死、他人の苦しみや幸せを自分のものと感じることのできる意識の死にあるのだ。』
ノーマン・カズンズ:ジャーナリスト
大津さんや偉人たちの言葉から考えると
- 生きていることを素直に喜ぶ
- 日々、幸も不幸も感謝する
- 笑い、泣く。感動や驚きのような感情を豊かに保つ
- 人を思いやる。親切にする
- いつか最後が来ると考え、心を奮い立たせて今日できることを精一杯やる
事を継続しなければ、人生に満足はなさそうです。それができない日々は「生きていながら内部では死んでいる」悲劇だと言われた気がします。最後にもう1つ偉人の言葉を紹介したいと思います。
『僕が死を考えるのは、死ぬためじゃない。生きるためなんだ。』
アンドレ・マルロー:作家
生きるために死を考える。身が引き締まる思いがします。
次回は生老病死の老について考えたいと思います。
長い文章を読んで頂き、ありがとうございます。あなたによきことが雪崩のごとく起きますように。
今日の学び:生きるために死を考える
今日の箴言:
- フランソワ・ルネ・ド・シャトーブリアン:文学者
- アメリカ・ネィティブインディアンの教え
- ノーマン・カズンズ:ジャーナリスト
- アンドレ・マルロー:作家
今日の書籍:だから死ぬのは怖くない:週刊朝日MOOK:朝日新聞出版
今日の写真:lllust AC様:ノンジロウさん
いつか書く:
私も死って!いうのを考えた事があります!初めて考えたのは10才頃でしょうか?それから10年おきくらいで…今は丁度50才ですから5回くらいでは…その度事に考え方も違いますネ…!
もちろん考えたり実際に動けないってどういう事になるのかとか…死後はどうなのかとか…?
今までの50年間で…3度程死に直面したことがあり…一番絶体絶命は25才の時ヨーロッパに一年程住んでた頃後ろからピストルを…でもたまたま通った警察官がいて間一髪助かりました!
本題に入りまして!死は必ず誰の身にも起こります!生まれて直ぐにでも死ぬ赤ちゃんもいます!運命と言えばそれまでですが…でも仮に自分の人生は何かによって生かされているとするならば…良いことも悪い事もあるかもしれませんが…精一杯自分を信じて生きる事ではないでしょうか?それから昔読んだ本で宮本武蔵のなかで…多分!ですが…生きようと思えば、死ぬし死ぬと思えば生きる!昔の侍はそのように明日は死ぬ覚悟で日々を生きていたようです!
ようは…逃げてはダメって事かなぁ!
いつ死んでも後悔しないように!精一杯生きる事なのかもって思います!
僕は40を過ぎた頃かなぁ…後悔ってどういう事って考えた事があり…思うようにいかないのが人生かなぁ…とか思い、ベストの人生は?って!
でもベストの人生なんてないと思いました!
それでシンプルにシンプルに考えて…選択肢の中で比べてベターを毎回選んで行けば!ベストに近づくのではと考えたんです!いつもベターはどっちって!そしたら迷う事がなくなりましたヨ(⌒‐⌒)
そしたら!最後に人に喜んでもらっていると自分は幸せになるのが一番かなぁって!
自分だけでは何か寂しいなぁ…って思いました!
何か長くなりましたが…最後に死ぬのは誰しも怖いと思いますが…どうせなら行くとこまで行って!一回きりの人生ですから…楽しみましょう!\(^-^)/ けんじ
生きるために死を考える……胸に響く言葉をありがとうございます。死について考えさせられるお話がありましたので紹介いたします http://masaoosajima.com/gift/mio/index.html