こんにちは、MSLABOです。
サラリーマンを長くやっていると、若い人達に「そんなの社会常識だろ?」みたいな発言をしてしまう事があります。社会常識ってなんなのでしょうか?。
世の中、ブラック企業という言葉がすっかり定着しているようです。ブラック企業の話題は別の機会に書くとしても、働くことに関してサービス残業を強要するような風潮は、よく耳にします。
社会常識を「とある会社の常識」と考えた場合、それは会社によって異なるのが当たり前です。
私のある友達の会社は、フリースタイルで出社退社時間が決まっていません。自由な社風が持ち味ですが、成果主義で結果第一です。
また別の友達の会社は、お固い会社なのできっちり労働時間が决められており、フレックスタイム制度もありません。しかし昔ながらの日本の会社で、結果一辺倒ではないそうです。
会社の常識なんて、会社ごとに違うわけです。そもそも違う事が当たり前なのに「社会」とか「常識」とか言うのは、ちょっと変ですよね。
それでは社会常識を「日本国内の普遍的な常識」と考えてみましょう。
この場合でも「普遍的な常識」って何?って事になります。常識が法律で决められているわけではありませんので、あくまで社会通念という事になります。でも天動説の例を出すまでもなく社会通念が正しいとは限りません。
常識だからといって無条件に従わないければいけない、いや従わないのはルール違反だ(何のルール違反?)といった判断をされるのは、そのように考える側にこそ問題が有るように思います。
この「社会常識」や「会社の常識」が、場合によっては大変奇妙な事について、『あ、「やりがい」とかいらないんで、とりあえず残業代ください。:日野 瑛太郎:東洋経済』に説明されていて、大変面白く読ませてもらいました。
日野さんは「日本という国は現在「労働」というカルト宗教に支配されている」と書かれています。
日野さんは先の著書で、労働や仕事感に関して「よく言われる社会常識」を6つ挙げ、するどいツッコミを述べています。詳細は日野さんの本を読んで頂くとして、その中から2つだけ取り上げてみたいと思います。
1)「やりがいのある仕事」につけたら、それで幸せです
これは自己啓発書なんかを読んでいると良く書かれています。「好きな事を仕事にしたい」と考えている自分なんかも、仕事=やりがい と考えちゃっていますね。
学生さんなどは就職する際に、目標とする会社の従業員に対し「あなたの仕事のやりがいは何ですか」なんて質問をするのではないでしょうか?。
「やりがいのある仕事」は大変素晴らしいと思います。では「仕事=やりがい」という考えの、何処がいけないでしょう?
こう考えてはどうでしょうか。
- 仕事=やりがいは基本的には素晴らしい
- ただし本来「やりがい」とは個人的なものであり、誰かから与えられるものではない
- だから会社が必ずしも「やりがいのある仕事」を提供してくれるとは限らない
- 仕事=会社=やりがい、職業=やりがい ではない。自分のやりがいが具体的な職業や会社とマッチするとは限らない
- 仕事なんだから、それに見合った報酬をもらうことは、当たり前。本来、報酬額に「やりがい」は関係ない
「やりがい」は個々人でみんな異なっています。
スキルや技術の向上にやりがいを感じる人もいれば、職歴や企業のネームバリューに感じる人もいます。給料の高さに感じる人もいれば、人間関係に感じる人もいるでしょう。だから「やりがい」とは個人的なものなんです。
だから、先の例で「あなたの仕事のやりがいは何ですか」なんて聞く学生がいたら「教えてあげてもいいけど、君の役には立たないかもよ」って返しますかね?(笑)。
そして会社は、個々人の「やりがい」に応じた仕事を提供してくれる訳ではありませんし、その義務もありません。つまり、「個人的なやりがい」と「仕事の報酬」「会社での仕事」は分けて考えたほうが良いという事だと思います。
ここを履き違えると「やりがいさえあれば、給与は(不当に)低くても、しかたがない」なんて考えになります。また「この会社はやりがいのある仕事をくれない」なんて謎の不満が出てしまいます。
「やりがいは大事、でも報酬も大事。やりがいは自分で見つける」くらいの気持ちで良いのではないでしょうか?
2)辛くてもいいから成長したい
1とよく似ていますが、仕事=自己成長のため という考えです。これも大変素晴らしい事だと思いますし、やはり自己啓発書なんかを読んでいると良く書かれています。
では仕事=自己成長のためという考えの、何処がいけないのでしょうか?。
こう考えてはどうでしょうか。
- 仕事を通して自己成長する事は素晴らしい
- ただ、「会社が従業員に対して望む成長」と「個人にとって望ましい成長」が同じとは限らない
- 成長についても個人的なものであるので、仕事=会社=成長、職業=成長 とは限らない
- 仕事なんだから、それに見合った報酬をもらうことは、当たり前。本来、報酬額に「成長できるか否か」は関係ない
ここでも「個人的な成長」と「仕事の報酬」は分けて考えたほうが良いのだと思います。
「人を植物」に「会社を環境」に例えるとして、植物が成長するには豊富な栄養が含まれている土壌や適度な水が必要です。しかし個々人はトマトやキュウリやナスやスイカなどのように、みんな違った植物なわけですから、成長に必要な栄養や適した生育環境が、まるで違う筈です。
だから会社の募集要項に「あなたが成長できる会社です」とか「あなたの成長を応援します」なんて書かれていたら、即効で疑わないといけません。だって、そんなのウソですから・・・。
「自己の成長が、本当にその会社の仕事を通して達成できるのか」、「そもそも仕事を通して成長する必要はあるのか」と、自分でよく考えないといけませんね。
あとは自己啓発書といえど無批判に鵜呑みにするのは危険だと感じました。
よく考えれば当たり前ですが、自己啓発書は社長や起業家として成功した人が書いていることが多いですから、どうしても労働者視点ではなくて経営者視点で書かれています。経営者に都合の良い(というのは言い過ぎ?)論述を展開しています。
・やりがいある仕事を見つけなさい
・自己投資、自己成長を考えなさい
・自己責任意識を持ちなさい
・経営者視点で、サービスを提供する意識を持ちなさい
・頑張ることは良いことです
どれも1つ1つは正しいと思いますが、「だから安い給料でも我慢しな」と言われた時は注意しましょう。また「成長」や「やりがい」をやたらと売り物にする会社は、少々危険だと思ったほうが良いかもしれません。
私なら「それで自分が楽しいか?」で判断したいと思っています。
過剰な「やりがい」の押し売りや、責任意識の押し付けは楽しくありませんからね。頑張る時も笑顔でいられるかがポイントです。歯を食いしばって耐えるなんて、絶対楽しくありません。
このような「やりがい=将来の仕事」「仕事=自己の成長」といった一種の洗脳は、日野さんによれば小学校から始まっていると言います。
やりがい=仕事については、なにかと肯定的な意見が多い中、気になる名言を紹介したいと思います。
『何としても避けたかったのは、人生を振り返ったとき、映画しかないという事態です。』
オードリー・ヘップバーン:女優
大女優として映画の世界で活躍したオードリーが言っているという所がポイントです。
もしかしたら彼女にとっては、映画女優=やりがい とは限らなかったのではないでしょうか?。映画の世界以外にも、自分の大切にしたい世界を持ちたいという気持ちが伝わってくるような言葉です。
もし今の自分の仕事にやりがいを感じないとしたら、それは不幸なことではなくて、むしろチャンスなのだ。
北野 武:漫才師、映画監督
漫才師であり映画監督として活躍する北野さんの言葉です。
北野さんは漫才師として成功を収めていますが、その上で映画監督としても活躍し、結果を残しています。きっと漫才だけでは「やりがい」と満たせなかったのかもしれませんね。
次回は、やりがい=将来の仕事について、続き(仕事とやりがい(その2))を書きたいと思います。
長い文章を読んで頂き、ありがとうございます。あなたによきことが雪崩のごとく起きますように。
今日の学び: 仕事の報酬と自己の成長、やりがいは分けて考えろ!
今日の箴言:
- オードリー・ヘップバーン:女優
- 北野 武:漫才師、映画監督
今日の書籍:
- あ、「やりがい」とかいらないんで、とりあえず残業代ください。:日野 瑛太郎(東洋経済)
今日の写真:freepic.com様
いつか書く:ブラック企業について