こんにちは、MSLABOです。
努力。何かと求められるものですよね。日本人は今でも「努力」とか「頑張る」いう言葉が大好きなようです。
遊びに夢中になっている時、それは「努力して遊んでいる」とは言いませんよね。何故でしょうか?。遊んでいるだけで、お金を稼いでいるわけでは無いからでしょうか?。
私の会社にはプログラムが趣味のような人がいて、それはもう嬉しそうにプログラムを作成します。いろいろな技術書も熱心に読まれていますが、「すごい努力家ですね」と言うと、「そうでもないよ」と言われてしまいます。本人は努力しているつもりはないと言うのです。
こうして考えてみると、私達は「努力」という言葉の中に、自分自身でも気が付かないうちに「歯を食いしばって行うもの、我慢する事、忍耐」というイメージを持っているのかもしれません。
「啼かなくていいホトトギス:小林 正観:中経文庫」で、小林さんが「努力」の「努(つとめる)」という字について解説をされているのを読んで、私達がなぜ「努力に我慢」というイメージを持つのかが少しだけ理解出来ました。
「努」という字は「奴+力」と書きますが、上半分の「奴」という字は「女+又」から出来上がっています。「女 の また・・・出産?」なんて想像をした人はオジサマだけでしょうか?(笑)。残念ですが、出産ではありませんw。
奴の右側は「股」ではなくて「又」ですねw。
又と言う字は「手」を表す漢字で、「奴」とは「女+手」という意味を持っています。
現代の日本に生活していると信じられませんが、女性が男性と同じように権利を認められ、社会で活躍する事が許されるようになったのは、ごく最近の事です。
女性の権利を認め、女性を開放する思想の事を「フェミニズム」と言いますが、フェミニズムは1789年のフランス革命をきっかけに19世紀以降に盛り上がってきた考え方で、6000年以上ある人類史から見れば「100ほど前=ごく最近」と言えるのです。
(参考:wiki「フェミニズム」記事 様)
つまり漢字が成立したような昔には、女性には男性と同じような権利は認められておらず、働き手(それも下働きと言われる雑用係)として使われる存在でした。
いろいろな労働を行う存在が女性であったため、転じて奴という字が出来上がったそうです。
「努」は奴に力を加えています。つまり「いろいろな仕事を、目一杯やらせる」という意味を持った字になっているんですね。
努力は、その上にさらに力という字を添えていますから、それはもう「歯を食いしばってでもやらせるもの」という意味になるわけです。
小林さんは、そんな努力を続けていると心に沸き立つ感情があるといいます。
それが「怒」。奴+心と書きますよね。
無理やりやらされるから、文句の1つも言いたくなる。腹が立つ。それが「怒」というわけです。
また努力と同じ意味に使われることがある「頑張る」には、「我を張る=わがままを通す」という意味があるそうです。
わがままを通すには2通りあり、「好きなことしかやりたくない」という我と、「嫌いなことはしたくない」という我。どちらも我を張るので、ワガママとなります。
うう・・・私などは「好きなことしかやりたくない」という我を通しまくっていますね(汗)。
戦国を代表する3英傑の信長、秀吉、家康の性格を言い表す有名な俳句があります。
●啼かぬなら殺してしまえホトトギス(信長)
●啼かぬなら啼かせてみせよホトトギス(秀吉)
●啼かぬなら啼くまでまとうホトトギス(家康)
実際は英傑本人が詠んだものではなく、松浦 静山(まつらせいざん)の甲子夜話(かっしやわ)に紹介されている「読み人知らず(作者不詳)」の俳句なのだそうですが、伝記や言い伝えからうかがえる3人の性格を良く表しているように感じます。
(参考URL:信長雑記帳 様)
松浦 静山 |
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小林さんはこの3つの句とも「ワガママ」であると言います。
つまり「ホトトギスは啼くものだ。だから啼かせなくてはいけない」という前提があるのだと言うのです。
この俳句はホトトギスについて詠んだものですが、こと努力や頑張ることについても同じことが言えるのではないでしょうか?。
自分が努力しても思い通りにならない人に
「なんで、あの人はXXXなんだ。もう付き合いきれない」と突き放す(信長)。
出来ない自分を見て
「こんな自分は嫌だ。もっとXXXあるべきだ。どうしたら出来るようになるか?」と思う(秀吉)。
嫌なことに出会ったら
「歯を食いしばって我慢すれば、そのうち良いことがある」と耐える(家康)。
啼かないホトトギスを啼かせようと、四苦八苦している自分が思い当たります。そんな努力と頑張りの果てにあるものは、心の疲れであり怒ではないのか?。
では、どうしたら良いのでしょうか?。小林さんは書かれます。
「やる羽目になった事は、神様が用意した事だと思って、ああだこうだと文句を言わずに、楽しんでやりなさい」。
啼かないホトトギスを啼かせるように努力しても、思い通りにいかないかもしれません。
啼かないからといって怒って、あきらめたり殺してしまっては、元も子もありません。
啼かないから啼くまで待つというのも時間の無駄です。
そうではなく、啼かない事を楽しんでみる。ありのままのホトトギスを受け入れてみる。
よく見れば、啼かないけど羽根が美しいかもしれない。
よく見れば、啼かないけど元気がよいかもしれない。
よく見れば、啼かないけど他の鳥と仲が良いかもしれない。
「嫌なものだと思わずに、楽しいものだと思って始めるという選択肢があります」
と小林さんは書かれます。啼かないホトトギスをもらったら、ああだこうだと文句を言わず、受け入れて、どうしたら楽しくなるか考える。
小林さんはホトトギスの句を次のように詠みます。
「啼かぬなら、啼かなくていい、ホトトギス」
『だいたい、うまくいかないものは、無理してがんばらないほうがいいんです。人生、「消去法」だからね。』
風間 完:挿絵画家
無理をするのではなく、自然に受け入れる。「こんなにXXXしているのに」と思えば角(かど)が立ち、怒りが沸いてきます。
でも「嫌なことをさっさと、あきらめる」ワガママを通すわけでもない。じっくりと向き合う。
「付きつ離れず程よい加減に」といった所でしょか?。なかなか難しいです。
遊びに夢中になっている時や、仕事であっても大好きな事をしている時、それを人は「努力している」とは言いません。それは「その行為を楽しんでいるから」では、ないでしょうか?
もしもそうなら「嫌な事」の「嫌」な面を見るのではなく、「楽しくなる面」を見つけてみる。
自分がしなければいけない事は、神様から与えられたものだと思って、一生懸命取り組んでみる。
「がんばらないけど、あきらめない」・・・鎌田医師の言葉が心に染みます。
さぁ、今日も自分と家庭と仕事を楽しんでみましょう!。
名古屋:伏見のオフィスより感謝を込めて。
長い文章を読んで頂き、ありがとうございます。あなたによきことが雪崩のごとく起きますように。
- 風間 完:挿絵画家
- 鎌田 實:医師
今日の書籍:啼かなくていいホトトギス:小林 正観:中経文庫
今日の写真:illustAC様 :sxor(skull) gさん