こんにちは、MSLABOです。
先日神社でおみくじを引いたら、私にとっては結構ショッキングな内容が書かれていて、愕然としました。凶とか大凶ではなかったのですが、そこにはなんと「あなたには見るべき才能がない」と書かれていたのです。
思えば珍しい内容ですが、なんとも痛いところを突かれた思いがしました。
神様、なにもそんなにハッキリと「見るべき才能がない」なんて言わなくても・・・と悲しくなるやら悔しいやら。でも相手が神様では文句の言いようもありません(苦笑)。
自分で自分の事を反省してみると、これが実に困った性格を持っています。
つまり「小さなことでツマヅイてイジイジするくせに、ちょっとおだてられると図に乗る」という性格です(汗)。アクセルとブレーキの踏み加減が大雑把というか、自己嫌悪と慢心のバランスが悪いというか。
なのでオミクジ程度とはいえ、「そんなの、神社の神主がテキトーに書いたものだし気にしない」とはいかないわけで、「ああ・・・やっぱり俺って才能ないのか・・・見るべき所がないってことくらい、自分でわかってはいたんだけど、そうハッキリ言われると落ち込むなぁ」と、その日は1日ブルーな気分でした。
そのくせ直ぐ図に乗るお調子者なので、神様からしてみれば下手に褒めて慢心させてしまうよりは、少し諌めて(いさめて)「慢心してはいけませんよ、常に努力をし謙虚でいなさい」という「ありがたい」注意をして頂いたのだと思います。まぁ、オミクジの後半もそのような解釈ができる内容でしたし・・・。
しかし、この「取り立てて見るべき所がない」という指摘は、あまりにも的確過ぎて、「俺だって努力すれば、いつかきっと」という淡い期待を打ち砕いてくれました。技術力や才能で飯を食っている(あるいは食べようとしている)人間には、これは一種の死刑宣告とも言える言葉に聞こえたのです。
それ以来、いろいろポジティヴに考えるように努力はしていたものの、どうにも心に棘が刺さってシクシクしていたのですが、神様はそんな私の心をお見通しだったようで、ちゃんと救いの言葉を用意していてくれました。
今日本屋で出会った書籍「人間になるための時間:曽野 綾子:小学館新書」に、私のような凡人に向けた素晴らしい言葉を見つけたのです。
「人生ですべての出来事が「取りようによってはよいものだ」と思える人は、冷蔵庫の残り野菜をすべて使って、おいしいスープを作れる人に似ている。まとまった料理には使えない屑野菜がたくさんあるからこそ、複雑なスープの味がでるのだが、「屑野菜は捨てて当然」と思う人は、決してこの手の野菜スープは作れない」
半端物の食材と野菜で作る美味しいスープと聞いて、私が思い浮かべたのは「フランス料理のポトフ」。私が大好きな料理の1つですが、「そうか、俺ってポトフにはなれるんだ(笑)」と妙に納得して、なんだか嬉しくなりました。
私の冷蔵庫には半端な屑野菜しかなくて、5つ星やら3つ星の一流レストランで出されるような料理はできないけれど「屑野菜が沢山あるからこそ、できる料理だってあるんだ」と、気が付かさせて頂きました。
『凡庸な素質を上手にひきたてる器用さは、人びとの尊敬をまんまとせしめ、しばしばほんとうの偉さ以上に声価を高める』
ラ・ロシュフコー公爵フランソワ6世:貴族、文学者
『非凡な才能など必要ありません。平凡な能力を、大きな目的に向かって最大限に生かせばいいのです。』
ラッセル・H・コーンウェル:牧師、法律家、講演家
天才と言われたり非凡な才能で名声を得たかに思える偉人の中にも、このように言って見える方がいます。なんだか救われる思いがします。
凡庸で結構。屑野菜で立派なポトフを作ってみせる!と勇気がわきました。
長い文章を読んで頂き、ありがとうございます。あなたによきことが雪崩のごとく起きますように。
今日の学び:凡庸で結構。屑野菜で立派なポトフを作ってみせる
今日の箴言:
- ラ・ロシュフコー公爵フランソワ6世:貴族、文学者
- ラッセル・H・コーンウェル:牧師、法律家、講演家
今日の書籍:人間になるための時間:曽野 綾子:小学館新書
今日の写真:COOKPAD 様
いつか書く: