こんにちは、MSLABOです。
エデンの園・・・聖書に登場する場所で「神様が最初の人類(アダムとエバ)にあたえた豊かな楽園」とされています。エデンの園のような楽園、それはどこにあるのでしょうか、それは夢物語なのでしょうか?
エデンの園には食用の樹木が沢山茂り、アダムとエバは園の木々から十分に食料を得、幸せに暮らしていたそうです。エデンの園がどこにあったかは定かではありませんが、一説によれば、アルメニア共和国の首都エレバンがそのモデルとなったと言われています。
(アルメニアは黒海の近く、トルコの隣です)
アダムとエバは、エデンの園の全ての樹の実を自由に食べることが許されていましたが、神様から食べることを禁止されている木の実が2つだけありました。エデンの中央に植えられた「知恵の木」の実と「生命の木」の実です。
ある日、悪魔(蛇)にそそのかされた2人は、知恵の木の実を食べてしまい、その罪によってエデンの園を追い出されてしまいます。それと同時に、アダム(男性)には労働の苦痛が、エバ(女性)には男性に仕える役目と出産の苦痛が与えられたと言われています。
禁断の実、知恵の木の実は「りんご」だったという説があります。iPhoneで有名なApple社のマークも、知恵の木の実(食べかけの りんご)をモチーフにしているそうです。
ところがいろいろ調べると、どうやら知恵の木の実は「りんご」ではなく、バナナだったという説があります。(参照:Wiki 様:知恵の樹 より)
なんでも寒冷地で育つりんごは、アルメニアなどの温暖な地中海性気候には向かないそうで、古代のインド以西の中東地域においてバナナはイチジクと呼ばれていた事が、その根拠の1つなのだとか。
そういえば、知恵の実を食べて「恥じらい」を覚えたアダムとエバは、イチジクの葉っぱで陰部を隠していますよね。
人類はエデンの園という楽園を追放されました。楽園はどこにあるのでしょうか?
ドイツの詩人カール・プッセの詩を読むと、楽園について考えさせられます。
『山のあなた(彼方)の空遠く
幸い住むとひとのいう
ああ、われひとと尋(と)めゆきて
涙さしぐみかえり来(き)ぬ
山のあなたになおとおく
幸い住むとひとのいう』
山の彼方に楽園があるというので、行ってみたら、さらにその向こうに楽園があるといわれた・・・。どこまで行っても楽園は「彼方」にあると言われ、たどり着くことが出来ない。
私達は永遠に楽園にたどり着くことは出来ず、絶望するしか無いのでしょうか・・・
そんな楽園について、偉人が次のように語っています。
『人生は楽園なんです。僕らはみんな楽園にいるのに、それを知ろうとしないんですよ。知りたいと思いさえすれば、明日にも、世界じゅうに楽園が生まれるに違いないんです。』
フョードル・ミハイロビッチ・ドストエフスキー:ロシアの小説家
人類は知恵の実を食べることで、神様と同じように善悪を判断する知恵を身につけたと言われています。エデンの園からは追い出されましたが、その知恵で「自分たちの手で楽園を築く事」も、また「今生きている場所を楽園にする事」も可能な筈です。
偉人の言葉に従えば、人類は「本当は楽園を追い出されてなどいない」のかもしれません。
今も昔もずっと楽園の中で暮らしている・・・
ただ、自らの欲望や下手な知恵によって、楽園を楽園だとは思えなくなってしまっているだけかもしれない・・・そんな気がしてきます。
楽園は遠い国にあるのではなく、今いる場所こそ楽園であり、今いる場所をいかに楽園と思えるようにするかが、本当の知恵の見せ所のように思えます。
さて、あなたの楽園は見つかるでしょうか?
長い文章を読んで頂き、ありがとうございます。あなたによきことが雪崩のごとく起きますように。
今日の学び:楽園は今ここにある!
今日の箴言:フョードル・ミハイロビッチ・ドストエフスキー:ロシアの小説家
今日の書籍:
今日の写真:Wiki 様
いつか書く: