友の死を悼んで

こんにちは、MSLABOです。

今月は自分にとって激動の月です。会社から嫌な仕事をアサインされて、頑張らなければいけない状況になった事はご報告しましたが、先日は大学以来の友人が亡くなったとの訃報を受けました

私より何歳か年上の人ではあったのですが、まさかの訃報でした。
大学生の頃、たまたま入ったアルバイト先の会社で社員だった彼(Aさん)。私達アルバイトを管理・指導する立場の人だったのですが、偉ぶることもなく、年が近かったこともあってか大変気さくで付き合いの良い人でした。ですので、私が大学卒業と同時に会社に就職が決まり(アルバイト先ではなくて、別の会社への就職でしたが)アルバイトをやめてからも、友達として仲良くさせてもらっていました。

最近、Aさんの事を知っている別の大学の友人と話す機会があり、「またみんなで集まって飲みたいね」などと話し合っていたのに・・・結局、会えずに別れることとなってしまいました。残念です(泣)。
以前の記事「生老病死:死を考える」で死について考えた事がありますが、その記事でも書いたとおり「会いたい人に会わなかった」事を後悔する羽目になりました

「死んでも魂は不滅である」と信じてはいますが、やはり親しい人がいなくなるのは体の一部が欠けたような寂しさを味わいます。親や子を亡くしたら、それはもう表現できない感情を味わいそうです。


『死に向かっている自分を忘れさせてくれるものが5つある。1つは恋愛、1つは仕事、1つは家族、1つは友人、1つはお金。』

見城 徹:幻冬舎社長

まさにその通りだと感じました。偉人の言葉から考えることは、自分は友人の死を悲しんでいるだけではなく、普段死を忘れさせてくれる存在の友人の死を通して、自分の死も確実に近づいていることを感じ、怯えているのかもしれません。


『死そのものよりも、死についての想像の方が、はるかに我々を恐怖せしむる。』

亀井 勝一:文芸評論家

上記のような言葉もあります。見えないもの、未知のもの、経験したことがないもの、その先に何があるか分からないもの・・・死は想像力を刺激し、恐怖を与えます。

しかし恐怖に足をすくませ、何もしないリスクのない人生を歩むと、その先には後悔がありそうです。


『強烈に生きることは常に死を前提としている。死という最もきびしい運命と直面してはじめていのちが奮い立つのだ。』

岡本 太郎:芸術家

心配事の9割は起こらない:升野 俊明:三笠書房」で、禅僧である升野さんはこう書いています。
前後際断(ぜんごさいだん)という禅語があります。その1瞬1瞬が絶対であり、前も後もつながっていない、ということです。生も死もそれぞれ絶対なのです。生は死にいたる前の姿ではなく、死は生のあとの姿としてあるわけではない。生ききるとは、その絶対の生をまっとうすること、ひたすら一生懸命生きること

この本の中で升野さんは106歳で天寿をまっとうした老僧の次のような言葉を紹介されていて、とても印象的でした。
人間はいつ死んでもいいと思うのが悟りやと思うておった。ところがそれは間違いやった。平気で生きていることが悟りやった。平気で生きていることは難しい。死ぬ時が来たら死んだらいいんや。平気で生きておれるときは、平気で生きておったらいいんや
人生は死ぬことと見つけたりではなく、人生は生きることと見つけたり!ですね

不運の荒波が打ち寄せてくる今月ですが、一生懸命生ききる 事に意識を持ちたいと思います。

長い文章を読んで頂き、ありがとうございます。あなたによきことが雪崩のごとく起きますように。


今日の学び:一生懸命生ききれ!
今日の箴言:

  • 見城 徹:幻冬舎社長
  • 亀井 勝一:文芸評論家
  • 岡本 太郎:芸術家

今日の書籍:心配事の9割は起こらない:升野 俊明:三笠書房
今日の写真:lllust AC様: chisanoさん
いつか書く:

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高瀬賢一
6 年 前

ご冥福をお祈りします。

生きるときは一生懸命生きるんですね。
死ぬときは一生懸命死ぬんですね。