人生の足し算引き算

こんにちは、MSLABOです。

私たちは多くを所有する事を望みます。沢山のお金、名誉、地位、高級な家具や持ち物、広い家、大きな庭。人によってはカッコイイ召使やかわいいメイドさん(笑)。

足し算・引き算この世界には成功者などと呼ばれ、それらを手にしている方が大勢みえるようです。しかし私はこれまで、金銀財宝を手にして生まれてくる赤ん坊には出会ったことがありません(笑)。どんな成功者でも裸1つで(ゼロから)生まれてきます。

そんなゼロ状態で生まれてきたにも関わらず、成功者と呼ばれる人たちは人よりも多くのものを所有するようになったのです。いうなれば人生で足し算を重ねてきた人といえるかもしれませんね。

いっぽうで、人生には残念ながら引き算も存在します。

財産を失う。地位や名誉を失う。家や家具が他人のものになる。恋人や家族が去っていく。そして老いや病気で体力が無くなり、いままでできていた事ができなくなる。

特に老いることに関しては、避けようがない引き算と言えそうです。年をとるほど元気が溢れ、体力がみなぎって肌もツヤツヤしてきたなどという「吸血鬼ですかアナタは」みたいな老人には出会ったことがありませんので、それは間違いないでしょう。

引き算は不幸?人生は「引き算」で輝く 本当の自分に目覚める話:野口 嘉則:サンマーク出版」を読ませて頂きました。野口さんは、人生の引き算を不幸とばかりは限らない。むしろ引き算が「人生を輝かせる」のだと書かれています。どういう事でしょうか?。

『より少ないことは、より豊かなことだ。より多いことは、より貧しいことだ』
ミース・ファン・デル・ローエ ミース・ファン・デル・ローエ:建築家

偉人は多くを所有すると、自由になるどころか所有したものに縛られるようになると言います。

例えばお金持ちになると、お金で好きなものが買えるようになる代わりに、そのお金を失う事が怖くなるそうです。有名人になると、人から尊敬されたり憧れの的とみなされる代わりに、カッコ悪い自分を見せることで評判が落ちることが怖くなります。

失うのが怖くなるくらいのお金持ちになった事がありませんので、正直実感がわきません。しかし有名人が自由気ままに振る舞えない事は想像できそうです。

野口さんはそれを「執着心」のなせる技だと書かれています。人は誰でも自ら手に入れたものを「自分のもの」として所有したくなるからです。

苦労して育てた子供は「自分の子供」。
つきあう異性は「自分の彼女(彼氏)」。
苦労して得た地位は「自分の役職」。
起業して大きくした会社は「自分の会社」。
借金をして購入したのは「自分の家」。

当たり前ですが、みんな「自分のもの」だと思います。生まれた時は何一つ持っていなかった私達ですが、所有する事で自分のものだと思うのです。自分の物だから執着心がわきます。自分のものだから、自分の思い通りになるものだと考えます。

こうして「執着」する事で、いつしか自分ではない物と自分との境界が曖昧になり、ついにはそれらを失うことを恐れるようになります。自分だと思っていたものを失う事は、まるで自分の一部が切り取られるような痛みを伴うからです。

本来、自分の子供といえども自分とは別の人間です。
恋人や奥様、旦那様も、当然自分とは異なる人間です。
会社での地位は、人から与えられたもので自分のものではありません。
自分が起業した会社であっても、それは自分のものではなく社員や顧客のものです。
自分で稼いだお金は自分で使う権利があるだけで、金は天下の廻り物と言います。

その証拠に、人生の引き算に出会い財産や地位や家族や恋人や会社を失っても、自分自身が消失してしまう事はありません。倒産したから蒸発したという話は聞きますが、本当に人間が消えてなくなるわけじゃないですよね?。

自分自身ではないので、死ぬ時にはこれらの物を置いていかなければいけません。私はいまだかつて霊柩車の後から引っ越し用のトラックが付いて行くのを見たことがありませんので、これは確かな事だと思います(笑)。

執着を手放す野口さんは人生の引き算について、それは自分ではない物への執着から離れる機会であり、自分が本当に大切にしたいこと、自分の命に目覚めるチャンスだと書かれています。

人生の引き算に出会った時、「ああ、なんで無くなってしまったんだ」と後悔したり、「XXXのせいだ」と他人を恨んだり、「こんな自分だからダメなんだ」と自己否定して、「無くしたものにより強く執着する道」もあります。

しかしその一方で、無くしたものは自分自身では無いのだし、自分自身では無いものは自分の思い通りにはならないものだと潔くあきらめめて、本来の自分を見つめなおす機会にもできるというのです。

古代中国の思想家 老子は、こんな事を言っています。

『多ければ則ち惑う。道を成すものは日に損す』
老子 老子:古代中国の思想家

これは「沢山所有し選択肢が多いほど迷うものだ。道を修める(真に豊かになる)者は、日々余計なものを手放して減らしていく」という意味だそうです。

あれやこれやと、いろいろな物に執着していると、それらの物に時間を奪われ、人生の大切な物に割く時間が減ってしまう。誰にでも1日は24時間しかありません。だから偉人は余計なものを減らすことで、大切なものにかける時間を増やしなさいと言うのです。

では、どのような事に時間を割いたら良いのでしょうか?。野口さんは書籍で次のように書かれています。

私達人間が拠り所とすべきなのは、自分が何を所有するのかということではなく、自分の命が何に喜びや充足感を感じるかということではないでしょうか」。

愛する人と過ごすひととき。
好きなことに夢中になっているひととき。
何気ない会話や生活を送っている心穏やかなひととき。
誰かの役に立つ喜びを感じているひととき。
誰かと心が通じあった嬉しさを感じるひととき。

人によって喜びを感じる瞬間は様々かもしれません。ですが、嬉しい、素敵だ、美しい、楽しい、心地良いと感じる瞬間を大切にする必要がありそうです。

『あってもなくてもいいものは、ないほうがいいんだな』
武井 哲応 武井 哲応:漕洞宗高福寺の禅僧(相田みつを さんの師)

あっても無くても良い物はもらっておこうではなくて(笑)、不要。そんな執着をすてて、空いた時間を自分の好きなことや大切なものの為に使う。

まさにシンプル イズ ベストなわけですね。

足し引きするものこの話を読んで思ったことは、人生という器に入る物量は限られているのかもしれないという事です。何かを入れるためには何かを削除しなければいけない。

そういえば、こんな話を聞いたことがあります。
とある大学での講義の話。


沢山の学生を前に、教授がバケツを取り出して中に大きな石ころを入れます。

大きな石でバケツが一杯になったとき、学生に向かって次のように問いました。
「このバケツには、もう何も入らないと思うかね?」。

185730(画像URL:illust-AC 様:モッファさん)

ある学生が「その通りです」と答えると、教授は小さな砂利石を取り出してバケツに注ぎ込みます。

砂利は大きな石の隙間に入り込み、バケツを満たしました。

教授は再び学生に問います。
「このバケツには、もう何も入らないと思うかね?」。

別の学生が答えました。「いえ、まだ入ると思います」。

すると教授は砂を取り出してバケツに注ぎ込みます。砂は大きな石と砂利の間を滑りこんで、バケツを満たしました。


この話から学ぶものが2つあります。

1つは「もう限界だ。これ以上はできない」と思う状況でも、まだ何かできる事があるという事。大きな石の隙間に砂利が入り、砂利の隙間に砂が入ったように。

もう1つは、人生で得られる物(時間)には限りがある。だから余計なもの(砂)で人生を満たす前に、最も大切なもの(大きな石)から先に入れるべきだという事

さてあなたは、人生から何を引き算しますか?。そして空いたスペースに何を足し算しますか?

名古屋:伏見のオフィスより感謝を込めて。

長い文章を読んで頂き、ありがとうございます。あなたによきことが雪崩のごとく起きますように。


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今日の学び:引き算の美学。拡大よりも充実を求めろ!
今日の箴言:
老子:古代中国の思想家
ミース・ファン・デル・ローエ:建築家
武井 哲応:漕洞宗高福寺の禅僧、相田みつをの師
今日の書籍:人生は「引き算」で輝く 本当の自分に目覚める話:野口 嘉則:サンマーク出版
今日の写真:illust-AC 様:ヒロカさん

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