森で教師に出会う

こんにちは、MSLABOです。

元気で活力にあふれているとき、私達は何でもできるような気になります。若さや輝きがいつまでも続くような錯覚に陥ってしまいます。

森で教師に出会う梅雨でジメジメとしたの雨の日が続きましたが、今週末は夏らしい日となりました。一時の清涼を求めて、以前訪問したことがある「小さな森の公園」に行ってきました。

暑い最中に、森までの道のりを歩いたせいで汗が吹き出ましたが、森のなかに入ると涼しい風が吹き抜け、クーラーの風とは異なる自然の優しさを感じます。

森の中にある小さな芝生の広場に立ち寄ると、壮年の女性が木陰のベンチから「隣に座りませんか?」と声をかけてくれました。見知らぬ女性の隣に座るのは、少々戸惑いがありましたが、せっかくの機会と思いベンチに腰を掛けると、彼女としばしの会話を楽しむことにしました。

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(画像URL:Illust-AC 様:nyankoteacherさん)

彼女は脳腫瘍を患い、そこから回復をしてリハビリのために公園まで散歩に来ていたのです。病気から回復をし家族に支えられる中で、再び仕事ができるようになった事の喜びを語る彼女に、自分の過去が重なります。

私も鬱病を患い、精神的な死の直前まで追い詰められて回復しました。彼女の話を聞きながら、誰かの役に立つ事、仕事が続けられる事は、生きる喜びなのだと感じずにはいられませんでした。

そんな森の奥には、年老いて体を壊した人たちが養生をする施設があります。昼過ぎともなると、介護師や家族に付き添われて多くの老人たちが、森の小径を車椅子で散歩に出かけて来ます。

私の座ったベンチの隣にも、家族に付き添われて散歩をする1人の老女が来ていました。

やせ細った手足の老女は、立つことはおろか、車椅子の上で満足に姿勢を直すこともできません。寂しいのか、独り言のように、とめどもなく付き添いの女性に話しかけています。

その老女がベンチの近くを去る際に、話をする機会がありました。車椅子と同じ高さにしゃがみこみ、老女の痩せた細い手を私の両手でしっかりと包み込むと、ほのかな暖かさを感じます。

今にも折れそうで、このまま施設に帰ったら、明日の朝には死んでいるかもしれない老女の手は確かに生きていたのです

いつしか私の目には涙がにじんでいました。人間は誰もが年老いて、こうして1人で死んでいくのだと思うと、人生の哀れみを感じずにはいられなかったからです

『老人になって死でやっと解放され、これで楽になっていくという感じがする。まったく人間の生涯というものは苦しみの連続だ』
高村 光太郎 高村 光太郎:詩人

死は避けられぬ病
病気から回復した壮年の女性と、寂しく施設で過ごす老女の2人に出会う事で、あらためて「自分は何のために生きているのか」。「年老いて、この老女のように死んでいく時、どのような状態でいたいのか」と、考えずにはいられませんでした。

仏教の開祖ゴータマ・シッダルタに、こんな話があります。


シッダルタはシャカ族が治める小さな国の王子でした。ある時、お供の者に付き添われて城の東門から外に出ます。

そこにはヨボヨボに年老いた老人がいました。シッダルタは聞きます。「あの者は何か?」と。お供の者は答えます。「老人でございます。すべての人間は、老いの苦しみを免れるものではございません」。

また別の日に、シッダルタは城の南門から外に出ます。そこには病に伏し、道端に横たわる人たちがいました。シッダルタは聞きます。「あの者は何か?」と。お供は答えます。「病人でございます。すべて人間は、病の苦しみを免れるものではございません」。

また別の日に、シッダルタは城の西門から外に出ます。そこには遺体を運んでいる人たちがいました。シッダルタは聞きます。「あの者は何か?」と。お供は答えます。「死人でございます。すべて人間は、死の苦しみを免れるものではございません」。

最後に北門から出たとき、出家した修行僧に出会いました。その者達の落ち着いた清らかな足どりに感動し、自らも出家をして、苦に満ちた人生の意味を追求しようと決意をされたといわれています。

(参考URL: buddha.kokaratu.com様 四門出遊より)


人生には3人の教師がいるそうです。それは「病人」、「老人」、「死人」です。今日私が森で出会った病人と老人は、人生の偉大な教師なのです。

恐れるものとは金があっても、金は友にはなってくれません。名誉や地位があっても、心温まる友人や家族が側にいなければ、死ぬ時にきっと後悔をするでしょう。今は元気で活力にあふれていれも、明日は病に倒れるかもしれません。

『怖れるべきは死ではない。真に生きていないことをこそ怖れよ』
マルクス・アウレリウス・アントニヌス マルクス・アウレリウス・アントニヌス:古代ローマ皇帝

そういえば古代ローマでは、将軍や皇帝が勝利の凱旋パレードを行なう際、将軍や皇帝のお供の者に、勝利で沸き立つ自分の背後で「メメント・モリ」とささやかせたそうです。
メメント・モリ(死を忘れるな)、メメント・モリ(死を忘れるな)」と。

死の舞踏(画像URL:Wiki 死の舞踏 記事:ミヒャエル・ヴォルゲムート:死の舞踏)

今日出会った人たちから
死にゆく際には、自分を大切に思ってくれる人に囲まれていたい事
そして死ぬ間際まで、そんな人たちの為に自分が何かの役に立ちたい事
を気が付かせて頂きました。

そのような人生を送るために、「勇気を持って自らの心が望む道を進まねばならない」のだと、改めて思わせて頂きました。

名古屋:伏見のオフィスより感謝を込めて。

長い文章を読んで頂き、ありがとうございます。あなたによきことが雪崩のごとく起きますように。


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今日の学び:いかに死にたいかを考えろ!
今日の箴言:
高村 光太郎:詩人
マルクス・アウレリウス・アントニヌス:古代ローマ皇帝
今日の書籍:
今日の写真:photo-ac 様:きなこもちさん

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