色眼鏡を外せ!

こんにちは、MSLABOです。

色眼鏡(自分の偏見)を通して世の中を見てはいけない。と、いうのは簡単ですが、なかなか思い通りにはいきません。

偏見。私の事例私も自分がいかに狭い視野で物事を見ていたかを、思い知らされることがありました。

先日の夕刻、会社の同僚との飲み会があったのですが、その席にこの春に部署を移動した後輩が来ていました。

彼が部署を移動してから会うのは、それが初めての機会でした。部署を移動する前、彼に抱いていた印象は、ハッキリ言って「仕事ができないヤツ」といったネガティヴなものでした。また頭が硬くて融通がきかない面があり、そこも気に入らない所でした。

ところが飲み会で話をするうちに、彼への印象が大きく変わってしまいました。それは、彼が移動前に携わっていた仕事の状況が、今の自分が置かれている状況と酷似している事に気がついたからです。

難しい仕事を、責任ある立場でこなさなければいけない。自分がリーダーという立場であっても、プロジェクトのメンバーは、自分より年上の先輩ばかり。ワガママ(個性的?)な人たちに囲まれて、自分の指示や命令がぜんぜん通じない。

そんな中で彼が「笑顔」を絶やさずに、プロジェクト上の立場は自分の方が上であっても、部下である先輩にいかに意図通りに動いてもらうか、彼らの協力を取り付けプロジェクトを前に進めるか、工夫と智慧を絞っていた事に気がついたからです。

ちょっと衝撃を受けました。彼の笑顔に「いつもヘラヘラしているな」程度の印象しか持っていなかった自分が恥ずかしくなりました

八雲に学ぶ
自分の色眼鏡を少しでも和らげて世の中を見るには、どうしたら良いのでしょうか?。
「もう疲れたよ・・・」にきく8つの習慣:岩井 俊憲:朝日新聞出版」に面白い話が掲載されていたので、要約して紹介してみたいと思います。

この話は「小泉八雲集(訳:上田和夫、新潮文庫)」に掲載されている話だそうです。小泉八雲といえば彼の著書「怪談」が有名で、耳なし芳一(みみなしほういち)や雪女の話が収められています。

————————以下、小泉 八雲集の「常識」より

昔、京都の愛宕山(あたごやま)にある小さな寺に、読経に余念がない僧侶がいました。

oteraillust-AC様 :ちまちまさん)

ある時、地元の猟師が捧げ物をもって訪れた時のこと。
僧侶は猟師に次のように語りました。

「私は毎日読経をしているが、その功徳(効力)のお陰で、ありがたい観音様が見えるようになった。今晩お前さんもいっしょにいるなら、観音様が見えるかもしれないよ」。

猟師は僧侶の話を疑いましたが、とにもかくにもいっしょに過ごして、観音様を見る事にしました。

世もふけた頃、僧侶は熱心に読経を始めます。
すると東の方角に小さな白い光が現れると、それはだんだんと大きくなり、やがて白い象にまたがった観音様の姿となりました。

cannon
illust-AC様 :おこさん)

僧侶と、側にいた寺の小坊主は「ははぁ」とひれ伏し、一層熱心に読経を始めます。
ところが猟師はふらりと立ち上がると、やおら弓をつがえ、観音めがけて弓を放ったのです。

矢は観音の胸に深くつきささり、光はあっという間に消失してしまいました。

驚いた僧侶と小坊主は、「おまえは、なんという罰当たりな事をしてくれたのだ!」と猟師を涙ながらに激しく責め立てます。

しかし猟師は反省する素振りも見せず、次のように語りました。

「あなたは長年の修行と読経の成果により、観音様が姿を表すようになったとお考えですね。しかし観音様が修行の成果によって、徳を高めたあなたに見えるようになったのであれば、私のように獣を殺して生計を立てているものや、修行半ばにある小坊主に見えるはずがありません。しかし、あの観音は私にも見る事ができた。」

そして「あれは観音様などではなく、あなたを化かして食い殺そうとしている化け物に違いありません」と言うと、観音様が消えた辺りを探し始めました。

すると、そこには血溜まりがあり、血の跡を辿って行くと、大きなタヌキが胸を矢で射られて死んでいるのを見つけたのです。

tanuki
illust-AC様 :こっそり出版さん)

—————————-ここまで

全体を見る
この話から学ぶことはなんでしょうか?。
岩井さんは書かれます。

「修行や読経により功徳を積むと、菩薩様に会うことができる」というのが、この話の当初の常識です。しかし僧侶はこの常識を「自分と菩薩」との関係に絞ってしか当てはめませんでした。

しかし、より広い視点で考えたなら素朴な疑問が湧き上がります。「なぜ功徳を積んでいない小坊主にも見えるのか」「なぜ殺生をしている猟師にも見えるのか」

そして次のように指摘をされます。
部分ばかり気にして、全体が見えていないと、大きな間違いを犯すという事を教えてくれる短編です」と。

ある常識が当てはまる事例だけに注目し、その他の事例や例外を見落としていると、全体を見誤ってしまうというのです

私の場合であれば
「(私がやっているような)仕事ができない」という一面的な事実のみで後輩を判断していたせいで、「先輩や上司を上手く動かして、プロジェクトを遂行する能力がある」という彼の長所を見逃していました。

『人生は予測がハズレることもある。でも、ハズレることで視野というのは広がるものです』
玄侑 宗久 玄侑 宗久(げんゆう そうきゅう):小説家、臨済宗の僧侶

まさに、後輩への偏見(予想)が外れた事で、視野が広がる体験でした。

『先入観を捨てることは大変むずかしい。それでも、「これは絶対に正しい」と思い込まずに、「間違っている可能性が絶対ないとは言えない」と考えられれば、先入観による呪縛は少しは解けてくる』
堀場 雅夫 堀場 雅夫:堀場製作所創業者

「絶対にXXXだ」という思い込みから、「もしかしたらYYYかもしれない。あるいはZZZかもしれない」という思いに変えるだけで、先入観の呪縛は弱まるのかもしれませんね

そういえば、昔誰かが「私達は世界を目で見ているのではない。心(脳)で見ているんだ」と言っているのを聞いたことがあります。

心のフィルター(色眼鏡)を通して世界を見る事はやめられないけど、少しでも先入観を排除して、人の長所や良い所に目を留めてみようと思わせて頂きました

名古屋:伏見のオフィスより感謝を込めて。

長い文章を読んで頂き、ありがとうございます。あなたによきことが雪崩のごとく起きますように。


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今日の学び:人の長所や良い所を見てみよう
今日の箴言:
玄侑 宗久(げんゆう そうきゅう):小説家、臨済宗の僧侶
堀場 雅夫:堀場製作所創業者
今日の書籍:「もう疲れたよ・・・」にきく8つの習慣:岩井 俊憲:朝日新聞出版
今日の写真:illust-AC様 :上田 ひろこさん

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