言い争いたくなったら!?

こんにちは、MSLABOです。

他人と言い争ってしまうこと、あなたにはありませんか?。私は・・・ありますね。互いに意見が異なる場合もそうですが、私の場合は、おもに「自分をわかって欲しいと思う時」に、必死に自己主張してしまいます。

これが会社などであれば、それなりの職位と年齢になった事に「あぐら」をかいて、年配者の権力(?というほどのものでもありませんが)にモノを言わせ、「俺の言うことを聞け」となるのでしょうが、家庭においてはそうはいきません(汗)。

言い争う心の奥には、いま言おうとしている事が正しいか否かよりも、「自分の気持ちをわかって欲しい」という「思い」があるように感じます

我が家の事例で恐縮なのですが、我が家は共働きです。なので家事は双方が分担するのが暗黙のルールになっています。

先日も、妻が仕事で遅く帰ってきた時、洗濯物を溜めていた事を避難され、「どうして洗濯物をしておいてくれなかったの?。私を、お手伝いさんか何かだと思っている!?」とキツイ一言をもらいました(泣)。

洗濯物を溜めていたことは事実なのですが、「俺も遊んでいるわけじゃないんだ。お互い様だろ?。それに、なんだよその言い方は!」とツイ言い返したくなりましたが、我慢我慢・・・です(苦笑)。

妻にしてみれば「洗濯物が溜まっていた事実」も重要なのでしょうが、それよりも「疲れていて大変なの。この大変な気持ちをわかって欲しい」という事だったのだと思います。そんな事は後になって気が付くのですが、その時は「お手伝いさんか何かだと思っている!?」という言葉に反応してしまい、冷静ではいられませんでした

このような場面では、どのように対処したら良いのでしょうか?。
そんな私にヒントをくれたのが「相手の言葉なんて真に受けるな!:石原 加受子:ぱる出版」です。

石原さんは、先のような場面で「どうして、あたたはXXXなの?」と責め立てている心境を、相手を中心に物事を考えている「他者中心主義」とし、その反対に自分の気持ちを中心に考えている状態を「自分中心主義」として、相手中心ではなく自分(の気持ち)中心に考えなさいと指摘されます。

私達はツイツイ他人に「どうして、あなたはXXXXなの?」と責める事があります。
「どうして」と言っている時、頭のなかは「相手」の事で一杯です。「相手が、相手が、相手が」と「相手」に期待する事や不満で満たされていて、「自分」という視点が無くなっているんですね。

また「どうして、あなたはXXXなの?」という主張の裏には、「自分は間違えていない。正しい。間違えているのは相手だ」という思いもあるのではないでしょうか?。
自分は善、相手は悪と善悪二元論に陥っていて「自分は正しいけど、相手も正しいかもしれない」という視点を持つことが出来ない状態になっています

先の例で言えば、「妻が忙しくて大変」なのは事実で「正しい」ですが、「夫も忙しいかもしれない」という視点が欠如しているので、「私ばかりが大変な目にあっている。不公平だ」となるんですね。

私の側も「なんだ、その言い方は!」と妻=悪、自分=善と考えれば衝突してしまいます。そうではなくて、「あれ?、イライラしてるな・・もしかしたら、会社で嫌な事でもあったのかな?」とか、「きっと疲れているんだな」と、相手も正しいかもしれないと思えれば、ずいぶんと気持ちが楽になります。

自分中心主義では、相手に何かを言いたくなった時、なぜ自分はそう言いたいのか?を、自分の気持ちを中心に考えます。たとえば先の例なら、洗濯物をしていない事を怒りたくなった妻は、「なぜ怒りが沸いたのか」を考えるわけですね。

そうすると「疲れている事をわかって欲しい」とか、「日頃から、自分のことをもっと大切にして欲しい」とか、「日頃から感謝して欲しい」という気持ちがある事に気がつくかもしれません。
・・・ああ、すいません、奥様・・・なんか、すごくひどい夫な気がしてきました・・・(汗)

その上で相手を非難したり、正論を振りかざすのではなく、伝えたい気持を自分視点で語ります。例えば「今日は疲れているの。洗濯物やっておいて欲しかったな」とか、「毎日洗濯物をするのは大変なの。そんな気持ちをわかって欲しい」といった感じでしょうか?。

ポイントは自分の気持ちを、なるべく相手を避難せずに伝える事。だって、それが「怒り」の根源なんですから、そのほうがスムーズに目的を達成する事ができます。

石原さんによれば、言い争いを仕掛けられた時は争いに乗るのではなく、さっさと争いから降りてしまう事。その1つが「話題を変える」ことなのだとか。
話題が変えづらい時は、「今は冷静な気持ちで聞き入れることが出来ないから、後にして欲しい」と伝えてしまうのも手なのだそうです。

また感情的に言い返すのではなく、相手を避難しないように自分の気持を伝える事も重要だと言います。私の例なら、「君の気持ちに気が付かずにごめんね。僕も疲れていたんだ」とか、「君の気持ちはわかったけど、そんな言い方をされると悲しいな」でしょうか?。

こんな風に、怒りを相手にぶつけ相手の自由を奪うような考え方をする前に、お互いが自分の気持ちに寄り添い、「今、自分はどういう気持なのか、どうして欲しいのか」を表現するだけでも、ずいぶんと会話の質が変わるような気がします

『私は他人の感情に真っ向から逆らわないように、また自分の意見だけが正しいと言い張ることのないように、常に心がけている』
ベンジャミン・フランクリン ベンジャミン・フランクリン:政治家、著述家

はい、フランクリン先生。勉強になります。
まさに今回のお題にふさわしい一言です。

『「妻は自分にふさわしい人間か」などと考える前に、「自分は妻にふさわしい人間か」と考えてみたまえ。お互いに違った面があるから価値があるのだ。』
アール・ナイチンゲール アール・ナイチンゲール:自己啓発家、著述者

その通りです。
自分が正しい=相手は間違いではなく、相手も正しいかもしれない
「相手が自分にとってふさわしいか」ではなく、「相手にとってふさわしい自分であるか」が重要なんですね。

善悪二元論で考えるのではなく、双方に言い分がある。なので、相手を非難せずに自分の気持ちを素直に伝える努力が必要だと勉強になりました

名古屋:伏見のオフィスより感謝を込めて。

長い文章を読んで頂き、ありがとうございます。あなたによきことが雪崩のごとく起きますように。


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今日の学び:善悪二元論ではなく、自分の気持ちを伝えよう
今日の箴言:
ベンジャミン・フランクリン:政治家、著述家
アール・ナイチンゲール:自己啓発家、著述者
今日の書籍:相手の言葉なんて真に受けるな!:石原 加受子:ぱる出版
今日の写真:illustAC 様: 丑蟻さん

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