私達はみんな盲人

こんにちは、MSLABOです。

いくら自己啓発の本を読んで勉強していても、たまに物凄くムカつく人に出会います。「このオヤジ(オバサン)、なに考えてんだ?」と言いたくなるような人。あなたの周りにもいませんか?。

他人は自分を写す鏡」という言葉がありますが、「いやいや、あいつが俺だって?。冗談はよしてくれ!」と言いたくなる事がありますよね(笑)。

私達は何かと何かを比較する事で、そのものをよく知ることができます
隣のPCと自分のPCを見比べることで「俺のほうが性能が上だな」とか、隣の人と自分を見比べる事で「俺より足が長くてイケメンじゃん・・・悔しい」とかw。

もしも全ての人類の足の長さが一緒だったら、短足に悩むことはなくなるかもしれませんが、足が長いことを自慢する事もできなくなります。
もしも全てのPCが同じ性能だったら、どれを買おうか迷うことはなくなるかもしれませんが、なんだかツマラナイ気分になります。

この例からもわかるように、多様性は「悩みや迷い」も産みますが、いろいろと比較するからこそ、1つ1つの特徴を良く理解し知ることができるのだと気が付きます。

私達が他人を見て腹をたてるのは、他人の考えや行動と自分との「違い」に気がつくからです。特に自分が信じて疑わないものや、自分の経験との差異を感じた時、その違いは怒りに変わります。

綺麗にする事が大切だと信じている人の目の前でゴミを散らかせば怒られます。
ルールを守ることが大切だと信じている人の前で、型破りな行動をすると嫌がられます。
人には礼節をもって接するべきだと信じている人は、横柄な態度の人が信じられません。
ある神様が正しいと信じている人に、別の宗教や神様が正しいといえば口論になります。

人はだれでも「自分フィルター(色眼鏡)」を通して世界を見ています。
人はだれでも「自分の世界」しか理解できません。
だからもしも他人という存在がいなかったら、「永久に、自分以外の広い世界がある事」に気が付けないままとなります。

え、「そんな事は無い」と思われますか?。

インドの喩え(たとえ)話に「群盲象を評す」というのがあります。「6人の盲人と象」とも言われている話で、だいたい以下のような内容です。

ある所に6人の盲人(目が見えない人)がいました。
彼らは象という生き物を、これまで一度も見たことがなく、今から象を触る事も知らされていません。そんな6人が、ある賢者に誘われて象を触ります。

1人目は耳を触り、「触ったものは、大きなウチワのようだった」と言います。
2人目は足を触り、「触ったものは、樹の幹のようだった」と言います。
3人目は鼻を触り、「触ったものは、太いヘビのようだった」と言います。
4人目は腹を触り、「触ったものは、大きな厚い壁のようだった」と言います。
5人目は牙を触り、「触ったものは、硬くて槍のようだった」と言います。
6人目は尻尾を触り、「触ったものは、細くてヒモのようだった」と言います。
さて、誰が一番正しく象を理解したでしょうか?。
elephant-blindmen(参考URL:STUDIO ARCANA技術ブログ 様)

私達は「6人の誰もが象を正しく理解していない」事に、直ぐに気が付きます。
なぜなら「象がどんな姿をしているか」を知っているからです。

しかし「自分フィルター」を通して世界を見ている盲人の私達は、自分が理解したものや経験したもの(自分が触った象の部分)だけが正しいと思い込みます
そして自分と異なる意見の人に遭遇すると口論し、怒りを覚えるのです。「何言ってやがる、おまえ象を触ったことあるのか?」と・・・・。

なんだか他人に怒りを覚えていた自分が、急に情けなくなる気持ちがしてきました(汗)

「群盲象を評す」の話からは
他人(異なる意見や考え)は、世界が広くて大きいことを自分に教えてくれるためにある。
他人がいるからこそ、自分や世界をより良く理解できる。
事に気が付かせてもらえるのでは、ないでしょうか?


『偏見を持つな。相手が幕臣であろうと乞食であろうと、教えを受けるべき人間なら俺は受けるわい。』

司馬遼太郎 司馬 遼太郎:小説家 『竜馬がゆく』より、坂本龍馬のセリフ


『私は移民の子であったので、頑迷、思いやりのなさ、偏見のすべてをなめ尽くした。だが私は苦しまなかった。むしろ一段と努力に励むための鞭だと考えた。』

バーナード・バルーク バーナード・バルーク:政治家、投資家

他人が自分を写す鏡である事は、別の角度から考えると次のようにも言えます。
●自分の頭が悪いお陰で、誰かの頭の良さが引き立っている
●自分が何かに詳しいのは「誰かが詳しくないお陰」で成立している。

ですから、優秀な人は自分の長所に鼻高々になるのではなく
「自分が優れていると感じるのは、その他大勢の誰かのお陰なのだ」と感謝してみては、如何でしょうか?

また自分の能力のなさがイヤになる人は
「自分が低能なお陰で、誰かの才能が輝いている。自分は社会の役に立っている」
と自信を持ちましょう(w)。-お、これ、私に最適な考え方だ(笑)。

だって、私達はみんな盲人なのですから。

長い文章を読んで頂き、ありがとうございます。あなたによきことが雪崩のごとく起きますように。


img2
今日の学び:他人は世界を自分に教えてくれるためにある
今日の箴言:
司馬 遼太郎:小説家
バーナード・バルーク:政治家、投資家
今日の書籍:
今日の写真:photoAC 様:lumpen0413さん
いつか書く:

0 0 votes
Article Rating
Subscribe
更新通知を受け取る »
guest

CAPTCHA


*

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

0 コメント
Inline Feedbacks
View all comments